センスがないならないなりに ― 2011/09/04 23:23:39
自炊をして弁当をつくるようになって、いろいろ反省したり考えたりする。出来が悪かったり失敗したりするのはしかたない。それを食べるのはほかでもないわたしだから、責任も自分で負わなくてはならない。だけどこれが、家族のぶんもとなると、とんでもなく重いこと。
あらためて感じたことは、絵画を描くのと料理をつくることは共通点があるということだ。
たとえば盛り付けを考えよう。写真のカレーは弁当だけれど、お皿にカレーを盛るとき、おいしそうにだとか見た目から食べたいという気にさせるということを考えるだろう。食材を調理するときも食べやすく切るとか手早く仕上げる。絵を描くときに構図を決め、色を考え、ここは念入りに、ここは手早く、と考えるのに似ている。
わたしのまわりに絵描きがいないのだけれど、うまい絵描きは料理もうまいのではないだろうかと、ひとり勝手に思い込んでいる。
センスがないのはまあしかたないとして、これからでも遅くない。
自分なりのなにかをみつけていけば、もっとおいしい料理ができるだろう。
あらためて感じたことは、絵画を描くのと料理をつくることは共通点があるということだ。
たとえば盛り付けを考えよう。写真のカレーは弁当だけれど、お皿にカレーを盛るとき、おいしそうにだとか見た目から食べたいという気にさせるということを考えるだろう。食材を調理するときも食べやすく切るとか手早く仕上げる。絵を描くときに構図を決め、色を考え、ここは念入りに、ここは手早く、と考えるのに似ている。
わたしのまわりに絵描きがいないのだけれど、うまい絵描きは料理もうまいのではないだろうかと、ひとり勝手に思い込んでいる。
センスがないのはまあしかたないとして、これからでも遅くない。
自分なりのなにかをみつけていけば、もっとおいしい料理ができるだろう。
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