「稲むらの火」2011/08/07 22:48:04

結局同窓会は延々と続き、終わったのが今日の午前2時。とてもじゃないが自宅に帰る余裕がなく、ホテルに泊まってけさ、疲れたからだをひきずって教会へ足を運んだ。年々きつくなっていくねえ(笑)。

今日は教会の平和主日。つまり平和を考える日と題して、わたしを含めて3人の信徒がそれぞれの視点で平和について語るプログラムを礼拝後にもった。

いつも思うのだけれど、戦時中の食事としてふかしイモにおにぎり、タクアンや浅漬けを口にする。そのねらいはよくわかるし、大切なことと思うが、なにせ65年前と現在では食材の栄養値が格段に違う。あのころを生き抜いてきた方々にしてみたら、こんなうまいものはなかった、と言われるだろう。逆に子どもたち戦争を経験していない世代からすれば、コンビニに行けばいいじゃん、で終わる。もしコンビニがなかったら、という想像をはたらきかけても、たぶん子どもたちにはピンと来ない。会話がかみ合わないままの平和について語るという不完全な内容になってしまうおそれがある。

わたしはリヒャルト・ヴォン・ワイツゼッカー元西ドイツ連邦大統領の「荒れ野の40年」という岩波ブックレットの演説と、「アンネの日記」朗読取材のため2007年に訪れたドイツ・ドレスデンのフラウエンチャーチをテーマに和解とこころに刻む、そして若い人たちに語りかけるということを話した。

9月で震災から半年になる。
あの記憶をどう継承し語り伝えていくか。

そこで、朗読舞台の数日後に手話演劇をやる予定だが、東北地方に伝わるという「稲むらの火」を短くまとめてやろうかと提案した。
津波を知らせるために高台にあった稲に火をつけて知らせたという実話から来ている。

これも今月いっぱいかかる取り組みになるかもしれない。