一度しかないからこそ2011/08/05 23:56:27

明日と9月は朗読のレッスンがそれぞれ1回しかない。
ということは、みなさんと一緒に練習できるのも1回しかないということだ。

「エンディングノート」という題の新聞コラムを読んだ。
最近は自分の死が近づいたとき、死期が近いと告げられたとき、争議の段取りや流してほしい音楽などを書きとめておくノートが市販されているそうだ。それを「エンディングノート」というのだそうだ。

日本ではまだまだタブー視されているものが2つある。死と性だ。どちらも人間のこころと生き方のありようを示すというのに、学校でも家庭でも教えられたことが少ない。
「エンディングノート」が広がりつつあるということは、ようやく死をみつめることが広がってきたということなのだろう。

わたしがターミナルケアに関心を抱くようになったのは、自分がだんだん聴こえなくなっていく、人生のうえで能力が狭められていくという感じを抱いていたからだ。しかし、学び続けていくなかで、それはけっして重苦しいものでも忌まわしいものでも深刻になるものでもない。むしろその瞬間まで、一瞬を楽しむこと。できることに精いっぱい力を尽くすこと。その延長に「エンディングノート」があるのだ。

舞台も、いわば1回限りのもの。やり直しがきかない。だからこそ舞台に上がれば濃密な時間になる。たとえうまくいかなかったとしても、それまでの取り組みをいかに過ごしてきたかで決まる。

だからといって深刻になることはない。
楽しみ、明るく演じよう。

明日の朗読のレッスンも、とても楽しみにしている。

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