信仰があるからえらいわけではない2011/08/04 23:40:44

米空軍、核ミサイル発射担当将校にキリスト教で聖戦教育
http://www.asahi.com/international/update/0803/TKY201108030650.html

わたしもクリスチャンだが、こういう記事を読むとなんともいえない暗く不愉快な気持ちにさせられる。
そして人間と宗教とはなにか? 宗教を信じているとはどういうことか? という疑問を抱かざるを得ない。だからといってクリスチャンであることをやめるとか教会から離れるとかいうことをまったく考えない。

「憲法の政教分離原則に違反する」というのが20年以上にわたって続けられてきた「「聖戦」論教育をやめる理由だそうだ。だがおかしい。なによりもこういった教育はしゅうきょうをゆがめている、ゆがんだ宗教の用い方であるといわざるを得ない。自分たちの戦争を正当化するために旧約・新約聖書の記述を多数引用するのは我田引水なんてものではなく、信仰や聖書をいわば軍隊という名で私物化しているようなものだ。

だが悲しいかな、人類史上、こういう例は枚挙にいとまがない。十字軍しかり、ブッシュ大統領親子のイラク政策しかり。息子のジョージは在任中、自分たちを十字軍と受け取れる発言をして中東はじめ国際社会から非難された。

信仰を持っているから自分たちが正しいのではなくて、あくまでも神さま、イエス・キリストがわたしたちを正しくあろうとしてくださる。だのにそれを取り違えているか勘違いしているか。
いずれにしても、信仰をもつということの意味をあらためて突きつけさせられた記事であった。信仰をもつから正しいのではない。あくまでも神さまが第一。人間は謙虚にならなければ。

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