初めからわかっていたことだけど2011/07/26 00:05:27

「なでしこ」ジャパンの女子サッカーワールドカップ初優勝は、一週間以上たったいまもさまざまな話題で盛り上がっている。とうとう菅内閣は「なでしこ」ジャパンに団体としては初の国民栄誉賞を授与する検討をしていると伝えられた。
初めに聞いたときは「へえ~」という驚きより、本性見たりという思いのほうが強かった。今日になって各紙が伝えているのを読むにつれ、ますます思いが強くなった。

断っておくけれど、わたしは「なでしこ」ジャパンが嫌いではないし、まして女子サッカーに嫌悪を感じているのでもない。だがどうしても疑問がつきまとう。
たとえば3年前の2008年8月にあった北京五輪で日本女子ソフトボールは悲願の金メダルを獲得した。当時の報道によれば「76年モントリオール五輪・バレーボール女子以来、32年ぶりの」快挙だったそうな。あのとき、なぜ女子ソフトボールチームに国民栄誉賞をあげなかったのだろう。団体競技だから、前例がなかったから、ということもあるだろう。この国はとかく前例主義だから、前例がないものはなかなか評価されないものだ。
だからといって「なでしこ」ジャパンにこの賞をあげるというのはいかにもうさんくささを感じる。本性見たりというのは「なでしこ」ジャパンのスタッフ監督選手らにではなく、賞をあげようという政権に、だ。

まあ、そもそもが国民栄誉賞というものは政治的なにおいがするものだし、時の政府の意向や時代を反映したものにならざるを得ない。東日本大震災以後、原発トラブルなどで政権の支持率が低下して、菅首相に向けられたまなざしが厳しいいま、ほんのわずかでもいい話に飛びついて人気を集めたいという思惑が感じられる。
そんなことをするより、「なでしこ」以外の女子サッカー選手、ひいては女子スポーツ選手がおかれた厳しい環境をいかに、希望と未来が感じられるものにしていくか、働きながらお金や時間を割いて好きなサッカーに打ち込んでいる彼女らの過酷なまでの環境。つまりスポーツをめぐる環境をよくしていくことに力を向けるべきではないか。

国からもらえるうさんくさい賞、どんな名誉ある賞状や賞品なんかより、あれだけ多くの人たちに感動と希望を抱かせてくれたということだけで、「なでしこ」がなしたことの意味を後世まで多くの人が高く評価してくれるとわたしは思う。それで十分だ。