地図帳2011/05/11 22:48:11

震災後、定期総会をはさんで2週間の休会のあとの今日、久しぶりの手話サークル定例会があった。
気持ちがゆったりおだやかになったのを感じる。楽しく自分の話や相手の話を聴いたり話したり(もちろん手話で!)。
来週もまたこういう感じで過ごせるといいな、と思う。

さて、朗読の学びを続けているが、今日書店で地図帳を購入した。

   『東京時代MAP 大江戸編』  光村推古書院  1700円+税

歴史地図と現代地図を重ねるという新しい発想のもとにつくられた地図帳だ。
大きな書店には、古地図と現代地図を対照して示してくれるものが多いが、これは重ね合わせて「いまとむかし」を教えてくれる。
写真でお分かりだろうか。現代の地名の下に、薄い色で江戸時代の地名や大名屋敷などの名が出てくる。たとえば東京ドーム一帯は水戸殿だった。ドーム敷地だけではなく、いまの小石川後楽園も含む広大な範囲にわたっていた。634㍍の高さになった東京スカイツリーは古地図でどういうところだったのか描かれていない。北十間川を渡っていまの業平は押上村という地名だった。亀吉が収容されている小伝馬町の牢屋敷はいまの中央区岩本町、といった具合だ。

というように、鬼平の舞台である深川などをみる楽しみができた。
手話を学んでみて得た、新しい楽しみである。

2011/05/12 22:57:55

梅雨を思わせるような激しい雨が昨日から降り続いている。
こんな天気の日はいささか気分も沈みたくなります。

とはいえ、今日は仕事のゲラを1本仕上げて、残った数本も読み返したり調べたりの一日。

スペインで地震が発生、10人が亡くなったという。古い建造物が揺れで破壊されたとも伝えられている。

中国の四川大震災から3年。今日は東日本大震災から2カ月目。
まだまだ復興には遠いけれど、立ち上がろうという人間の意志の強さを信じていたい。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

白色無地のペットボトルキャップ2011/05/13 21:53:58

ペットボトルのキャップ、白無地に統一 1割増産可能に
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104130687.html

ランチにとコンビニで買ったペットボトルのお茶。なにげなしにみるとふたが白色、ラベルも商品名も描かれていない。

3月11日の大震災後、ミネラルウォーターやお茶を中心にペットボトルの需要が急増、買い占め騒ぎが起こるまでになった。
ちょうど1カ月前の4月13日、飲料大手メーカーは、従来どおりのブランド名などが入ったふたではなく、白色無地のデザインに統一すると発表した。震災発生の3月にはすでにふた製造メーカーから飲料大手メーカーに、白色無地にするよう要望があったそうだ。白色無地にすることでペットボトルドリンクの供給力が1割向上するという。

ペットボトルの本体をみればお茶か違うドリンクか、ブランド名やメーカー名もわかる。ふたまで色をつけたり商品名をつけたりする必要はないのではと、わたしは以前から思っていた。海外旅行の機内や現地のお店で手にするミネラルウォーターのペットボトルはふたには何も描かれていないのだ。
今夏もひょっとすると厳しい暑さになるかもしれないこと、まして震災後の供給事情を考えると、白色無地のふたも悪くないな、と思う。

美しい夕焼け2011/05/14 23:50:28

けさ9時前にまた揺れがあった。大きなものではなかったけれど、まだまだ安心できない。

街を歩いて、駅の向こうに見える夕焼けと雲。思わず感動して、シャッターを切った。

生きているからこそ、あんな美しい夕焼けを見ることができる。
生きていること、生きているあいだに、よりよく生を残したい。昨日よりは今日、今日よりは明日が、もっといい日であること。もっといい一日を生きることを信じて。

クールビズではないけれど2011/05/15 22:00:18

礼拝を終えて用事をすませるために浦安から神楽坂、渋谷、新宿と移動してきた。

浜岡原発の停止という事態は、夏の電力不足を予想させる。
今日、新宿の電気店を回ってみたら扇風機が売れているそうだ。

わたしも実は明日からクールビズではないけれど、ネクタイをはずして軽装で過ごそうと思う。
周囲の目にさらされ、ファッションセンスを鍛えられるということに乏しい男性には、つい半そでにネクタイで済ませてしまおうと思うが、こういう世の中だからねえ。

何事も経験してみるものだ。

漢字、ひらがな、手話2011/05/16 23:40:50

仕事を終えてから短い時間だったけれど卓球練習に行ってきた。わずか30分もない時間。だが一瞬でもムダにすまい、ただそれだけを思いながら練習してきた。

日本に生まれていいなと感じるのは、漢字やひらがなからさまざまなことを思いめぐらし考えることだ。
受け売りではないけれど、たしかにすてきな漢字だと思うのは躾という字だ。身に美しいと書いて躾と読む。見た目だけではなく内面も含めたなにか。美しさといっても見た目ではない。内面からにじみかもし出される雰囲気、空気のようなものだろうか。

わたしは命といのちを区別して書くことが多い。
躾を美しくすてきな感じだと書いたが、大学時代に学んだ生命倫理だとか、漢字で表す「命」はどことなく無機質というか限られたというか、うまくいえないかもしれないが、硬い印象を感じる。
反対に「いのち」と書くと、次代に受け継いでいく、いとおしみいつくしみを感じるのだ。

たかが漢字とひらがなではないか、と思われるだろう。
日本に生まれて日本語という文化を知る。日本語のなかの漢字とひらがなをみつめてさらに手話という文化を身につけつつあることの喜びを、味わい楽しんでいる。

めりはりと自然な会話表現を2011/05/17 23:35:16

といっても、日常会話ではない。
今日は手話つき朗読『鬼平犯科帳』手話訳づくりだ。

毎回のことだが、江戸時代という、いまとは価値観も社会構造も言葉も文化も習慣もまったく異なる時代を手話で表す。その作業がたいへんであるとともに、楽しいとも感じている。
同心、目明し、与力という言葉は現代21世紀の日本語の手話にはない。だからひとくくりに火付改メである鬼平の部下、と表すことにしたり、無実の罪を着せられた亀吉は、菓子屋の下男である。下男を奉公人として、仕える、腰に両手指先をつける表現とすることにした。

前回の手話訳では「人々の放火犯に対する憎しみは強かった」の「強かった」をそのまま「強い」としたが、検討してみると、前後の文脈から「当然、あたりまえ」とすべきではないかとご指導をいただいた。なるほど、財産も家族も家屋も失った人々の復興はたいへんだったから、放火犯に対する社会的感情は現代の比ではない厳しさだっただろう。さらし者になったあげくに火あぶりになるという極刑は、現代以上に犯罪に対する感情が苛烈だったことを意味している。

もうひとつ気をつけなくてはならないのは、会話場面の自然さだ。
平蔵と亀吉、安兵衛、酒井の会話場面が出てくる。それらをからだの向きを変えたり手の位置を上下にしたりすることで、登場人物の社会的位置、役割を区別し、また語っているわたしがそれぞれの登場人物になりきるように表す。
そういう意味で参考になるのは手話落語。
たまたまわたしの手元に大喰亭満腹という手話落語家のDVDがある。
じっくり見ながら参考にしたい。

やっていてたいへんだとともに楽しい、手話朗読のとりくみ。
これが手話演劇にもつながっていけばいい。

アタマをやわらかくする方法2011/05/18 00:57:38

クールビズといいながら、どうにもこうにも暑い。
けれどわたしはやっぱり、ネクタイスーツで過ごすほうが性に合っている。

夜の手話サークルでわたしは、フリートークのコミュニケーションクラスに参加している。もうひとつの別の手話サークルでは教わりながらたまに自分で表すこともあるが、ここのサークルではコミュニケーションが目的であり、自由にテーマを設定して思い思いに語る。

今日のテーマ。「カタイアタマをやわらかくする方法」
わたしのネクタイ姿を見て、「ネクタイをはずしたほうがいいよ」と言われたことに、「サークルでも公的なものだし、まして女性が多いサークルの中でだらしなく見られるのはいやだから、どんなに暑かろうが寒かろうがネクタイスーツが一番」などと自説(?)を話した。
それがきっかけになって「アタマをやわらかくする方法」というミョーな話題に広がった。こういうテーマもいいものだね。

先日のここでアロハなど、クールビズのファッションについて書いたら、会社や職場によってはアロハシャツを着たらクビ、なんていうところもあるらしい。
ともあれ、ネクタイスーツが一番いいと思い、そうやってきた自分を変えるのはなかなか難しい。
変えるには、もっと大きななにか、きっかけでもないと無理かもしれないね。

なんだかんだ言いながら暑さに耐えかね、サークル後の飲み会ではホッピーを2本飲み干してしまった。
やれやれ、今夏も昨夏以上の暑さになる……のだろうか?

ホイッスル2011/05/19 23:18:43

今月はじめにヘルメットが届いた直後、もし今後また大きな揺れが起きたとき、たとえば落下物やがれきの下に埋もれた、というときなど、自分がどこにいてどうしたいのかを伝えるためのホイッスルが必要ではないか、と考えた。
そこで、いろいろ探したところ、偶然にもわたしが住んでいる葛飾区にある、野田鶴声社というホイッスルメーカーの製品を購入した。
同社のウェブサイトはこちら。http://nodakakuseisha.world.coocan.jp/

同社は伸びやかな音、職人の手になるむだのない構造などの技術で世界的に知られている。
サッカーでは1982、86、98年のワールドカップ大会で公式採用され、ほかにも警察や軍隊などでも使われているという。
ホイッスルはヘルメットのあごひもに、ケータイに使うスプリングコードを通して結び、いざというときすぐに口にくわえられる。

今日も夕方に東北地方で地震があった。
先日ここで書いたバンダナ、耳マークがはいったきんちゃくと一緒にしておいて、いつ何時起きてもいいように対応しておきたい。
ホントはこういうものを使う日が来ないことを祈っているけれど……。

かならず実現するのだと。2011/05/20 22:22:22

明日と6月第1週の「朗読のレッスン」で、いま学んでいる、『夜鷹蕎麦十六文』(北原亜以子作『その夜の雪』から)は終わり、7月から、9月の舞台に向けた各自のテキストを練習することになる。

今回の舞台テキストは江戸時代である。
言葉も文化も生活習慣も違う、と書いたが、現代では「まっすぐ」という言葉を江戸時代は「まっつぐ」と言っていた、と昨日の新聞の記事にあった。ほかにもイントネーションや言い回しなどが現代とは異なる。
今回『鬼平』をやりながら、江戸弁というかあのころの時代の言い回しにも挑戦してみようか、という気持ち意欲が生まれてきた。

聴こえにくいのはもとより承知の上。10年ほど前に「朗読のレッスン」を見学して受講を決めたときからわかりきっていたことだ。
江戸時代の言葉遣い、言い回しをやってみると、また違った感じが生まれるかもしれない。

女優の石田えりさんが、ヘアヌード写真集を出したい、と、ヘルムート・ニュートンに撮ってもらいたいと口にしてまもなく、それを聞いた人が、ニュートンに話を伝えたのだそうだ。そして撮影が決まった。
石田さんがインタビューでこう語っておられた。
『本当に心から願い、それが必要なことならば、その願いは人からどんなにバカにされても実現するものだ』

先日、知的障がい者の子役俳優がテレビドラマ『生まれる。』(TBS)に出演しているというニュースが各紙に出ていた。
これまでも障がい者を取り上げたドラマや映画があった。だがそのほとんどは障がいのない人が障がい者を演じることが多かった。とくにこの国、日本では。

外国に目を転じると、障がい者が堂々とアクターアクトレスとして活躍している例がたくさんある。『愛は静けさの中に』のマリー・マトリンは手話で語った演技がとても静かで大きな感動を呼んだ。トム・クルーズは学習障害があることでも知られている(わたしたち身体障がいとはまた違うものだけれど)。

障がい者が舞台に立ったり演じたりというと、どうしてもお涙ちょうだい、別の言い方をすれば福祉的な視点でしか見られないことが多かった。逆に言えば、障がい者を障がいのない人が演じるのは、本質をつかんでいないどころか本質をゆがめていないか、と思う。

そうではなく、何かを演じたい表現したい、という芸術表現としてみてほしいとわたしはかねてから思っていた。それが障がい者の社会参加にもつながる。
見世物扱いではなく、お涙ちょうだいでもなく、聴こえなくても何かが表現できる。ひとのこころに何かを伝え訴え、こころに何かが残る表現がしたい。

それは舞台を始めたときからのわたしの願いである。
どんなにバカにされても、それが必要なことだと思うから、かならず実現するのだと、わたしは確信している。