人間とはわからないものだ2011/04/05 23:25:40

先週土曜日の朗読のレッスンで、例年よりかなり早いけれど、秋の舞台の台本を、講師先生にお渡しした。ここでも何度も書いたように、『鬼平犯科帳』をやることにしている。

で、今日、書店をのぞいたら『池波正太郎の世界』というビジュアル雑誌があった。そのなかに江戸時代の古地図があり、今回朗読に出てくる柏屋留右衛門が営む「翁庵」という菓子屋も地図上にあった。これによると永代橋からアイカ八丁に入ったところにあったとされる。

鬼平に出てくるセリフの中で秀逸なものはいくつもあるが、鬼平という人物、ひいてはこの作品全体を指してあげるなら、このセリフだけで十分だろう。

「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。
善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」

鬼平自身が、人間の機微に通じ、「鬼」にも「仏」にもなれる。下情を知らぬものは世の中の仕組みもわからぬ、という信念の持ち主だったと言われるが、それは若いころに「本所の銕」という異名をとるほど放蕩無頼の生活をしながら人間の弱さと強さを知っていたからだろう。

今日、手話通訳士先生と手話の勉強のあとに居酒屋へ行ってきた。
こんな災害が起きた後で、という人もいるかもしれないが、だからといって自粛自粛ばかりでは、息苦しいばかりである。それはけっして被災者や亡くなった人たちを無視したり自分とは関係ないというのではなく、いまこうして生かされ生きている。災害にあったり深い悲しみのなかにいる人たちが立ち上がれるようにする。それは生やさしいことではない。
がんばれ、というだけが励ましではない。わたしたちが生きているいまをどう生きていくかで、彼らにとっても励みになり希望にもなるのだ。

岩手である酒屋蔵が、自粛しないでほしい。自粛すると酒が売れなくなり、ひいては経済の復興が遅れるからだ、という。
自粛を声高にいう政治家や評論家は、ではお前さんは実際に被災地へ行ったか? あるいはどうしたら復興できるか、を考えたことがあるか? あいまいな、はっきりしないないまぜのような、一見正しいように見える理由で、わたしたちに息苦しさを押しつけていないか?

話を舞台に戻す。
手話表現やら練習やらで忙しくなる前に、古地図といまの東京都地図を重ね合わせて、「本所の銕」長谷川平蔵がたどった道、「鈍牛」に出てくる柏屋留右衛門が営む「翁庵」や深川あたりなどを撮影してそれがどこなのかどういうところだったのか、文字を入れ、舞台に投影してみようかと思う。