夢はみるもの 目標はかなえるためにある2011/02/18 22:52:32

手話をご指導いただいている手話通訳の先生から、朗読台本についてのご返事をいただいた。
以前ここで今年の朗読舞台で『鬼平犯科帳』をやりたいと書いた。その小説をコピーして差し上げたのだが、手話表現と口話がかなりの部分で合わなくなるという、難しい問題が出てくるとのこと。たいへんだろうが、あなたががんばるしかない、と励ましもいただいた。
一瞬考えたが、たとえばわたしがやりたいことのひとつ、手話落語とも共通した困難があるかもしれない。
 
日曜日に「鬼平」台本をつくる作業にとりかかってみようと思う。
わたしが手話つき朗読舞台に挑戦したい理由は、手話表現がもっともっとうまくなりたい。ろう者にも難聴者にもきこえる手話のわかる人にも伝わるように。皆さんに楽しんでもらえることが一番目、ついで自分の手話表現のレベルを上げたいということが二番目。
そう考えるなら、今回もし「鬼平」をやるなら、これも挑戦だと。やらずして挑戦も目標もない。
手話つき朗読舞台も生涯かけてやりたい目標だ。いつか実現させたい、ろう者にも難聴者にもきこえる手話のわかる人にも手話のわからない人にも楽しんでもらえる朗読舞台。舞台をプロデュースすることにも挑戦してみたい。
夢じゃなくて目標である。夢はみるもので、目が覚めたらなくなってしまうね。目標はかなえるためにある。それも具体的なはっきりしたものを。 「絶対できるんだ」と信じている。

仕事のあとで会社の手話教室。わたしが教わるのではなく教える立場だ。
今年の舞台にも、会社の手話教室のみなさんにも、またサークルの仲間たちにも来てもらえたら、これ以上の喜びはない。
手話教室で教えるということにも強い責任を感じる。だからこそしっかりやらなくては。舞台への取り組みも、教室への取り組みも、教室に来てくださる仲間たちに対しても。