痛みを乗り越えたときには2011/02/12 08:10:38

もうひとつ、感じたのは力士の、スポーツマンとしてのいさぎよさのなさだ。
預金通帳やケータイの提出を求められて、「ケータイを買い替えた」「妻が踏みつぶして壊れた」などと言って提出や調査に協力しないという。
政治家が不祥事を起こしたときの常とう句で「妻が」「秘書が」と言っているのと変わりない。そこには尊敬される力人(ちからびと)としての姿はみじんも感じられない。

前に日本相撲協会のウェブサイトを見たとき、あまり更新されていないのを不思議に思ったことがある。いまはあっというまに情報が伝わる。それも昔とは比べ物にならない速度でだ。
そんな時代なのに、ウェブサイトの更新が少ないというのは、自分たちを知ってもらおうという気持ちが少ないからか、黙っていてもお客さんが来てくれると思っているからか、と感じたのはうがちすぎだろうか。

八百長なんて昔からあった。あいまいなものがあるからこそ楽しみなのだ、という人もいる。
だったらそれは、もはやスポーツではない。娯楽のひとつになってしまうとわたしは思う。少なくともスポーツとしてみられたいなら、あいまいなものはできるだけなくしてみられたほうが、社会的にも認知度が高くなる。

この先どうなるかわからないけれど、トカゲのしっぽ切りよろしく、八百長でかかわったとされる3人を含む14人を解雇除名して終わり、では世間は納得しないのでないだろうか。
公益法人もけっこうだけれど、その前に社会に対して透明化、少なくとも外部からの風を入れないと。
力士出身者にはおもしろくないかもしれないが、その痛みを乗り越えないと、相撲が魅力ある世界にはならないだろう。

痛みを乗り越えたときには、きっと相撲の世界はいまよりも魅力あるものになっているに違いない。