どちらもあっていいのだ2011/01/20 22:38:24

例の『タイガーマスク運動』とでも名づけられた、匿名の善意による寄付運動は、昨年末の群馬に始まってあちこちにひろがっている。

ふと思う。
梶原一騎さんがいらっしゃったらこの運動をどうお思いになられるだろうか。
また、伊達直人というあの主人公が実在していたら、いくつくらいだろう。たぶん推測だけれど、マンガが描かれた時代、1960年代終わりに「虎の穴」を出てアメリカでプロレスラーとして活躍、日本に帰ってきたという設定から20歳前後だとすると、いまごろは70歳を過ぎているかいないか、だろう。

話は飛ぶけれど、こういう寄付運動を見ても欧米と日本の違いを思わされる。
NFLを例にすると、シカゴ・ベアーズのRBとして活躍したウォルター・ペイトンの功績をたたえて、故人である彼の名をとったウォルター・ペイトン賞というのがある。またMLBではロベルト・クレメンテ賞という、ピッツバーグ・パイレーツで活躍し、故郷ニカラグアに台風が襲来したとき故国へ救援に向かい、搭乗した飛行機の墜落で亡くなった彼の名を記念して、社会福祉運動などに尽力した現役MLB選手に贈られる賞がある。

キリスト教でも、自分のためではなく他者に仕える、犠牲ということは貴いものと考えられている。けれどもそれを行っている人のことは実名で賞賛されるべきだ、というのが欧米の考え方だ。だから寄付行為も匿名ではなく、実名で、というのがあたりまえとされる。
日本では、匿名でひっそり行われるべきものだと言う考えが主流だ。言い換えれば奥ゆかしさというべきものだろう。だからか、今回の『タイガーマスク運動』があっというまにひろがったのはそこらへんにもあるのではないか。

どちらがいい悪い、ではない。どちらもあっていいのだ。
ここ数日、耳の奥で「みなしごのバラード」がきこえてくる。