自分だけではないんだね2010/11/20 23:51:15

今晩あった手話サークルのあと、居酒屋へ移動しての世間話。
前に書いたように、補聴器をつけていて少々うるさいと感じることがある。集中を妨げられたくないので、あえて補聴器を切って電池もはずしている。そう話したら、ご年配の、難聴のある男性も「同じだよ」とおっししゃられた。そうか、自分だけではないんだね。少しだけ、気持ちが晴れたような気がしてうれしかった。

聞こえないという障がいをもう少し考えると、「見えない」という点にたどりつく。「見えない」とは、言い換えればどういう障がいでありどういう不利益を伴うのかどういう困難があるのか、はた目からは理解しにくいということではないか。
バリアフリーという言葉が定着してきたように思える昨今だが、たとえば車いす、歩行困難な障がい。視覚障がい。これらは車いすなり白つえ、盲導犬なりを見ればわかる。スロープ、点字ブロックが必要だ。ATMやネットも読み上げ音声がある、などというように。しかし盲ろう者にはATMの音声読み上げも聞こえない。
どういう困難があってどうしたらいいのか、どうしてほしいのか、と意見を求められることがあるけれど、それを説明してもなかなかわかってもらえないわからないのだ。手話のわかるひとがいれば。要点をまとめて筆記してくれる要約筆記者。それ以前に、コミュニケーション支援がほしい、と言っても「あんたひとりのためになんかできないよ」と、にべもなく断られた。ましてわたしをまるで能無し扱いしてきた人さえいる。とても言いようのない苦痛だった。