人間を生き生きと描いている劇画2010/10/05 23:30:13

昔はよく買っていたコミックマガジン。最近はめったに買うことがなくなった。
それでもいいなと思う作品はある。いろいろあるが、『ゴルゴ13』と『鬼平犯科帳』の2作品である。

どちらも劇画の巨匠、さいとう・たかおさんの作品。前者は架空の国際的狙撃手であるゴルゴ13(デューク・東郷)が世界を舞台に、狙撃やテロを引き受け、遂行するまでを描いている。後者は故・池波正太郎さんの同名の小説であり、実在した人物である長谷川平蔵宣以(はせがわ・へいぞうのぶため、1746~1795)の、主に火付盗賊改方として活躍していた8年間を描いている。

ゴルゴは人を殺すことをまったくいとわずためらいもしない。ある作品では100人以上の敵をたったひとり、ゴルゴひとりで倒す。ダイナマイトを使ったりライフルを使ったり、手りゅう弾を使ったり。
長谷川平蔵は、たしかに刀を抜いて盗賊や悪党どもを斬ることもあるが、めったやたらには刀を抜かない。そればかりか旗本であり武士であるからといって自らの地位や身分を振りかざすこともしない。ある物語のなかで不正を働いた悪党どもが死罪つまり斬首刑に処せられる一方で、不正をそそのかした武士階級にはおとがめなしという裁きが下ったのを聞いて「これだ……。上の者には軽く、下の者には重い。悪党どもがかわいそうになるな」とさえつぶやいている。

なぜこの極端であるとも言える2つの漫画にひかれるのだろう。
どちらも人の死が描かれているが、片方は狙撃、片方は盗賊らを捕縛するけれども、殺しはしない。犯罪者を更正させるために労働の場をつくる、人足寄場をつくることさえしているのだ。

さいとうさんはじめ、描かれている画の迫力や美しさもあるだろう。小さいころによく見た『ドラえもん』とはタッチも筆遣いも違う。
年をとったからかもしれないが、「人間」を描いているからだろう。そこにひかれるのだ。矛盾もあるしいやな面も見せられる。ゴルゴの場合なら足元にいる虫を踏みつぶそうとしない、なのにあれほど多くの殺人をこなしている。長谷川平蔵なら、若いころに「本所の銕」と呼ばれたこともあるほど、放蕩ぶりと乱暴を働いた。なのに幕府の役人として仕え、「鬼平」と恐れられる一方で江戸の市民から愛されてきた。そういう人間を生き生きと描いている、そこにひかれるのだ。

ゴルゴか鬼平か。
わたしなら鬼平に仕えてみたいねえ。

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