舞台まで2週間2010/09/11 18:56:46

昨日は朗読のご指導をいただいてきた。今日はいよいよ舞台の2週間前である。

ケータイメールで事前に先生にお尋ねしておいた疑問点のほか、目線のやり方、手話の方向などを教えていただく。新たな発見があるなど有意義な時間だった。
わたしが出した疑問は、吾朗が「しばらく帰らないよ」と言って家を出たあとのことである。台本ではこう続く。「監督やスタッフたちが『まいりました』というまで、この役を演じてみせる。そしてまた、帰ってくる」
家を出たのはいいが、さて、「監督やスタッフたちが『まいりました』というまで、この役を演じてみせる」のはどこで? 具体的な地名は書かれていないけれど、たぶん家を出たあとどこかで演じてくるのだろう。

日本手話の表現を考えるとき、極端な言い方だが、文章の頭と後ろをつなげて、あいだの文をバッサリ省いてみるとすっきり理解しやすい。つまり、「しばらく帰らないよ。監督やスタッフたちが『まいりました』というまで、この役を演じてみせる。そしてまた、帰ってくる」という台本なら「しばらく帰らないよ~この役を演じてみせる~そしてまた、帰ってくる」と、シンプルに考えてみる。
大事なことは、「この役を演じてみせる」のはどこか? ということだから、手話では「しばらく帰らないよ」のあとで指をさして、「そこで」と場所を指す。指で指したさきが「この役を演じてみせる」のはどこか? を意味するわけだ。これがあるとよりはっきり、吾朗の行動が理解しやすいのではないだろうか。また、「そしてまた、帰ってくる」というくだり。日本語対応手話なら「また、帰ってくる」とそのまま訳すだろう。日本手話ではイメージを重視する。「この役を演じ終えて(=そしてまた)、帰ってくる」としてみた。
もうひとつ教えていただいたのは、監督やスタッフたちがどこにいるか、どういう位置関係かということだ。
いままではさやかに話している、さやかのほうを向いて監督やスタッフを指さしていたが、これだと位置関係がわかりにくい。さきに「そこで」と場所を指す、と書いた。ならばその指さした方向に監督やスタッフたちがいるのだとイメージしたらどうだろうか。

さやかが吾朗を見つめる目線や吾朗を紹介する冒頭部、さやかが吾朗の手話を見て悲しみが伝わってくるという部分。いずれも吾朗やさやかを見ている、目線をあたかもさやかが吾朗を、吾朗がさやかを見ているような感じでゆっくり動かしてみること。そうするとよりリアルな理解ができる。


昨年の『塩狩峠』のときは用紙が行き届かず中途半端になってしまいました、お客さんへのアンケートを、今回も作成してほかのチラシや舞台プログラムなどとともにはさんで、当日、来てくださったみなさんにお渡しいたします。
いつかかなえたい「聞こえる人も聞こえない人も、手話のわかる人もわからない人も、ともに楽しめる朗読舞台」へのテストの参考にするためです。
ご来場くださるみなさまの、ご理解・ご協力をお願いいたします。