ひとりで飲んできた2010/08/11 22:46:40

仕事のあとで居酒屋へ行ってひとりで飲んできた。
飲める人には珍しくないだろうけれど、まったく飲めないわたしにはめったにないこと。ひとりだけれど楽しかった。

暑さが続いて、溶解しそうなほど。
こんなときにプレーする甲子園の高校球児はもちろん、アメリカンフットボールの選手も秋からのシーズンに向けた練習や体力づくりに励んでいる。
すごいなあ、とただただ驚嘆する。

同窓会の写真を速達で21枚、仲間に送った。明日には届くだろうね。みんなどんな顔をするだろう。楽しみだ。

4半世紀を越えて2010/08/12 23:49:10

毎年8月というと、第2次世界大戦特集、そしてこの日は「おすたか」を思い出す。

わたしには大学時代のことだが、まだ聞こえていたころにラジオのイヤホンから聞こえてきた、「ジャンボ機墜落」の報を伝える番組に、眠れない思いを抱いた。ましてこの事故で犠牲になられた520名のご遺族にとっては、25年間は筆舌に尽くしがたい思いだったに違いない。

手話を覚えて初めて覚えた手話ソングが、坂本九さんの『心の瞳』という曲だ。DVDできいろぐみという手話パフォーマンスグループが演じているのを見よう見まねで覚えた。

坂本九さん遺族「パパと夢の共演」 録音と歌声重ねて
http://www.asahi.com/national/update/0810/TKY201008100094.html?ref=goo

たとえ あしたが 少しずつ 見えてきても
それは 生きてきた 足あとが あるからさ

いつか 若さを 失くしても 心だけは
けっして 変わらない 絆で 結ばれてる

だいぶこころがやわらかくなってきた。これまでにも書いたように、目標があってやらなければならないことやりたいことがはっきりしてきた。
それは生きてきた足跡があって、その延長にいまがある。

『心の瞳』はこれからも大切にしていきたい、わたしの宝物だ。

まるでそこにいるかのように2010/08/13 23:05:37

いったん中断している朗読舞台『ゆずり葉』と別に取り組んでいる、手話ひとり芝居『つるの恩返し』。今日はその後半部分、娘がおじいさんに糸を買ってくるようにお願いして、機織をはじめるが、おばあさんに正体を知られて鶴に戻って去っていく場面までをご指導いただいた。

手話表現も単に表わすだけではなく、まるでそこにいるかのように、言い換えるなら、登場人物や状況をイメージするように描き出す。
たとえば機織。両手をひらいて上下に指を交互にいれる。正体を知られた娘が鶴になって去っていく。おじいさんやおばあさんが鶴に別れの手をふる場面も、ただたんにさよならとふるだけではなく、鶴が飛び去っていくように、両手を組み合わせ、その幅を大きく、次第にだんだん小さくしていく。最後の場面は余韻を持たせるように語り表現したいと思っていただけに、とても納得のいくご指導をいただいた。

週末は『ゆずり葉』と『つるの恩返し』を集中して練習する。一度だけ衣装を着たつもりで、所作動きなどを確認してみる。

よほど空腹だったのだろうねえ。
いつものように手話通訳の先生と一緒に食事をしてホッピーも枝豆もさしみもあっという間に胃袋に収まった。

コマーシャルで手話が出てきた2010/08/14 23:05:26

以前ここで、AED普及がきっかけで補聴器やコンタクトレンズのテレビコマーシャルなどが解禁されるようになった、という記事を書いた。
今日、手話つき朗読やひとり芝居の練習前に、あるテレビを見ていたら、コマーシャルで手話が出てきたのに驚いてしばらく見入ってしまった。

それはソフトバンクのiPhone4のコマーシャルだった。
わたしはずっとNTTドコモのケータイを使っているが、このiPodにカメラと通信機能があるらしい。で、難聴だろうかろう者だろうか、設定がわからないけれども若い男女がテレビカメラ通信機能を使って手話でやりとりしているのだ。

実はNTTドコモのケータイにも同じような機能があり、たぶんほかのケータイも同様だろうと思う。動画が撮影できるカメラと通信機能があれば、こういった使い方はもはやろう者、難聴者問わず、ケータイを持っている、わたしたち聞こえない人同士ではあたりまえになっている。
ところが、こういう機能の使い方があるのだということを、聞こえる人のほとんどは知らないか、知っていても見たことがないかもしれない。聞こえない人と接したことがなければ、知らないのも無理はない。

さらにわたしが驚嘆したのは、手話が出てくることだ。
ドラマなどで聞こえる、または手話に理解のある俳優が手話を使ってろう者難聴者を演じたドラマはあっても、コマーシャルで手話が出てくることはまずないからだ。ましてこういう使いかたがあるのだということを、聞こえる人のほとんどはご存じないだろう。

なるほどと思いつつ手をたたいて喜んだのは言うまでもない。
わたしが見たのはTBSの「王様のブランチ」(午前9時30分~午後2時)だったが、ソフトバンクのiPhone4のコマーシャルのある番組でなら、見ることができるだろう。

こういうことが、聞こえない人たちへの理解啓蒙と手話への理解につながれば、とてもうれしい。

喜びをあらためて感じながら2010/08/15 21:35:26

30分ほど前に手話通訳士の先生を駅までお送りしてから自宅へ戻って皿やグラスなどを洗うなど後始末を。今日は手話ひとり芝居『つるの恩返し』のけいこのため、わたしの家に先生をお招きしてご指導をいただいた。

昨日浅草へ行って、舞台衣装のリサイクルショップでみつけた女性ものの着物と、先日届いた古着物を重ね着して、早着替えをしながらおじいさん、おばあさん、娘と演じ分ける。しかし、着物の早着替えはコツがいる。小指と薬指でそで口をつかみ、下へおろすように脱ぐ。逆に着るときは両腕を上げてそでから素早く通して着る。襟元をしっかり留めることを忘れないように。女性ものの着物を下にしておけば、少々着崩れてもまあ、目立たないか。見えないかもしれないが、わらぞうりも見つけて、衣裳に加えて演じるときにははくつもりだ。

今日は65回目の敗戦記念日。わたしは「終戦」というあいまいな言い回しが嫌いで、はっきり「敗戦」ということにしている。
その解釈はさておき、戦争のない日本で手話を使って会話ができ、舞台表現ができる、楽しんでやれるという喜びをあらためて感じる。

今週土日がまとまって手話ひとり芝居『つるの恩返し』の練習ができる最後の機会だ。土曜日にある朗読のレッスンのときにはもしかしたら、わたしの出演時間もわかるかもしれない。
朗読舞台『ゆずり葉』もまあまあ手話通訳士の先生から合格点をいただいた。
いい舞台になるように、全力を尽くしたい。

尋常ではない暑さ2010/08/16 22:38:50

連休が終わってまた、いつものように電車が込み合うようになった。
練馬区で36℃……埼玉県でも36℃だという。冗談ではない。なにかおかしいのではないか。それにしても――暑い!
故郷北海道では根室でサンマ漁が始まったそうだが、水温が高いなどのためか、漁獲量が少ないのだそうだ。おかげで東京でもサンマが1尾580円だとか600円だとかする。

ともあれこの暑さは今週いっぱいまで続くようだ。
幸いというほどではないが、日が沈むのが早く感じられる。いくぶん涼しいのがうれしい。

自分のためではなく2010/08/17 21:11:26

久しぶりに弁当づくりをはじめた。しばらく外で食べたりコンビニエンスストアで弁当を買ったりしていたが、自分にカツを入れたい、気持ちをひきしめていきたいと思い、弁当づくりから朝晩のごはんづくりを再開した。

さまざまなしがらみなどのために現実には難しいことだけれど、クリスチャン、信仰者として大事にしたいのは、「主語」というか中心を自分ではなくキリスト・イエスにおくこと。言い換えるなら自分のためではなく、キリストのために生きたい。仕事も朗読も手話も舞台も。そしていつかわたしと一緒に人生を生きてくれる人ができたら、この人と一緒に生きたいと思えるなら、その人のために生きたい。

こういうように生きたい、といえる目標をもって生きていられることに感謝の思いである。

会話があってもなくても2010/08/18 21:32:37

仕事中はほとんど、会話らしい会話をすることがない、よってそれがつまらないというか苦痛というような感じであるのだけれど、まあ聞こえないんだからしかたないわな。席を隔てて会話が聞こえてくるけれども、自分に関係ないときは、知らない顔をして無関心を装っている。都合いいもので、補聴器から電池を取り出しておけば、もう知らないふりもしなくてすむもんね(笑)。

その一方でわたしに限ったことではないけれど、聞こえない代わりに目の前にある物事にとことん集中していかなければ気がすまない。調べたり関心があったりすることにこだわりを忘れない。仕事で集中できるというときほど、幸せを感じることはない。耳が不自由というのはそんな、意外なこともあるのだ。

聞こえないために一日中、まったく会話がないときもあるが、それはそれでほっといて、集中したり突き詰めて取り組めることがほかにある。
会話があってもなくても、いまこうして生きていることが大事であり生きているからこそいろんな関心や集中を失わずにいられることを大事にしていきたいものだ。

思い切りをよく あと一歩踏み込んで2010/08/19 23:30:48

午後から雨の予報。いつ以来だろうと思うほど期待していたのだが、残念なことに一滴の雨も降らず。
夜は卓球のコーチ指導を受けてきた。

実はここ一週間ほど、利き足である右足の親指が痛くて、正直歩くのもきつかった。歩けないのでも走れないのでもないが、卓球という動きが激しいスポーツでどこまでできるかちょっとこわかった。

けれど不思議なもので、自分ひとりだけの練習なら痛みは耐えられなかっただろうが、コーチが打ってくる速い球も左右に振られるコースも、痛みなどどこかへ飛んでしまったようなほど。

たとえばわたしからみて右、相手から見ると左の卓球台ぎりぎりへ打ってくるとしよう。そのときもこわがらず、あと一歩踏み込む。そしてこまの軸のように腰をひねり、ラケットを返す。いままでなら打ち返せなかったきわどいコースでもきちんと返せた。
低い姿勢と踏み込みを恐れないこと。そしてラケットを振るときはためらいも迷いもなく、思い切りスイングをする。バックハンドでもツッツキでもフォアハンドでも。もともとそんなに力を入れなくても勢いのある球を打てるラケットだから、むやみやたらと振り回す必要はない。

恐れることはない。たかが、といってしまえばそれまでだけど、しかしいのちをとられることはないのだから、思い切りを失ったほうがはるかにこわい。

朗読とひとり芝居の練習も充実した内容で進んでいる。
わたしの出演時間がわかれば、仲間にすぐにでもお知らせしたいと思う。

ギョッとしたけれど2010/08/20 23:00:53

夜からの手話ひとり芝居『つるの恩返し』の4回目のけいこ。
今日はつるが飛んでいく場面と機織の場面で、最後につるが飛び去っていく情景を描くため、両手をクロスさせて翼が羽ばたくさま、そしてだんだん遠く小さくなっていくように、人差し指を交錯させていくように、と教わった。
機織は手の位置を真正面に固定させ、家の中にある機織の位置をイメージさせるため、少し立ち位置をずらすことを教わった。

要するに日本手話で語る場合、説明するのではなく情景を見ている人に想像、イメージさせることが大事なのだ。
週末は着物の早着替えの練習。

さて、けいこが終わってからいつものように居酒屋へ。
ああでもないこうでもないと世間話から、このあいだのソフトバンクのiPhone4のコマーシャル、パソコン、障碍者雇用など話題が広がった会話をはさんであっというまの楽しいひとときだった。
会計を済ませてレシートに目をやると……!!! 
ギョッとしたのはいうまでもない。要するにレジの打ち間違いなんだけどね。

居酒屋のお姉さんがレシートを取り上げようとしたけれど、「いいから、いいから」と笑って制してもらってきた。お姉さんと笑いあい、カメラに収めてきた。

こんな楽しいひとときがあるから、手話の勉強はやめられない。