彼に罪はないのになあ2010/07/09 00:03:38

一カ月あまり世界を熱狂させてきたワールドカップサッカー・南アフリカ大会。
11日の決勝、スペイン-オランダ戦でようやく熱狂に幕が下りる。

準決勝の対スペイン戦でドイツ敗戦を「予言」した、オーバーハウゼンの水族館「シーライフ」で飼育されている、たこの「パウル」くん。

その前の準々決勝でドイツがアルゼンチンを下したのを「予言」したあたりから世界的な注目を集めて、この結果にもさんざんあちこちから「パエリアにするぞ」「サメの水槽に入れろ」「フライやバーベキューにしてしまえ」などとさんざん八つ当たりされる始末。水族館にもパウルくんを自然保護団体が、漁業禁止区域のフランス南部沖へ流すよう提案したとか。

たかがたこでしょ。
たこにそんな予知能力があるわけないのに、こうも大騒ぎするのはなぁ。ちょっと理解できない。

若さゆえのあやまち2010/07/10 23:11:35

わたしは中学時代の時期にはやった『ガンダム』ブームを、そう、いまで言えば今年のサッカー日本代表と同じように無関心でみていた。さかんにガンダムがどうのこうのと言っている仲間を見ながら、まったく本当に興味も関心もなかった。プラモデルを買ったこともつくったこともない。いまもガンダムブームが続いているようだけれど。
で、その『ガンダム』に出てくるせりふをタイトルにしたのは、もうはるか昔の自分を思い出したからだ。

小学校から大学までずっと聞こえる人と一緒に育ってきたわたしだが、小学校のころけんかしたりいじめられたりしたことがあるけれど、でもそれをいまでもひきずってはいない。もしいま、あのころけんかをしたりいじめたりしてきた仲間と路上でばったり会ったとしても、「やあ、どうしている?」と笑いあって、ハイオシマイ。別に憎しみなんかあるわけない。お互いが子どもだったから、といまになってわかることだけれど。

ところがこれが中学時代になるとそうはいかない。悪いんだけれど、ちょっとごめんだね。会いたいと思わないし、仮に誘われてもお断りしたい、と決めている。なぜか。多感な時期だから、子どもでも傷が深いものだ。若さゆえの過ちといわれても、言われたほうはすなおになれないものだ。

悲しいニュースが飛び込んできた。
小学校時代に机をともにしていた仲間の何人かがもうこの世にいない、という話だ。
やりきれないし、さびしい。
生きているからこそ会えるんだよね。

友だちを大事にしなくては。いじめでこころにもからだにも傷をつけるようであってはならない。
いじめにあった子どもたちにも、いじめている君にも、いじめはよくない、と強く訴えたい。

いろんな動物がいるなあ2010/07/11 22:26:14

ネコって高いところが好きだったっけ……?
教会から自宅へ帰る途中、用事を済ませるために寄った有楽町から銀座へ戻る。
ひょいと上を見たら……なんとまあ、ネコが高いところにのぼっている。群衆が一斉にカメラを向けているではないか。

前に書いた、サッカーワールドカップのドイツ代表の結果を次々と「予言」してしかも全部的中させた、オーバーハウゼンの水族館に飼育されている「パウル」くん。
3位決定戦のウルグアイ-ドイツ戦もドイツ勝利で「予言」したところぴたりと的中。おいおい。

今度はAP電によれば、シンガポールのインコ「マニ」くんが裏返しにした各国のカードを選ぶ方法で、決勝戦の予想を「オランダ優勝」と「予言」したそうだ。

たこかインコか。刺し身やすしにしたたこは嫌いではないが、インコを飼っていた経験者としては、オランダ優勝という夢もかねて、マニくんを応援したいところ。ちなみにパウルくんの「予言」は「スペイン優勝」だとか。……ま。仮に予想が外れても、頼むからたこをパエリアにしろ、なんていわないでね、スペインの皆さん(笑)。

それにしてもいろんな動物がいるなあ。世界は狭い?

ともに楽しめる朗読舞台へ2010/07/12 22:29:20

手話講習会と同時期から都内にあるカルチャーセンターの朗読教室で「朗読のレッスン」を学び続けています。
5年前から2つのグループ、あわせて80人近い仲間たち(聴者)と「コスモス朗読会」の名で年一度発表会を行い、2回目の舞台で手話つき朗読に挑戦して「聞こえないけれど話せる」自分らしさを見いだしました。手話ソングダンスと共通する、つくりあげる難しさと伝える喜びを感じています。

来年、あるいはいつか、聞こえる人も聞こえない人も、障がいのある方もない方もともに楽しめる朗読舞台をひらきたい、と考えております。

元来、演じたり、表現することが好きなのですが、「手話つき朗読」は聞こえない皆さん、手話の分かる聞こえるみなさんにも手話がわからない聞こえるみなさんにも、ともに楽しんでいただきたいと思い、お誘いさせていただきました。

一度わたしたちの舞台を見ていただけませんでしょうか。
まずはお忙しいとは存じますが、ぜひ見に来てくださればこの上ない喜びです。

   日時:2010年9月25日(土) 午後1時から6時まで
   場所:しもきた空間リバティ 世田谷区北沢2-11-3 
                イサミヤビル4階(入場無料)
                          (小田急線・下北沢駅下車)

演目は早瀬憲太郎作「ゆずり葉」からの予定です。
出演発表時間はわかり次第またここにアップします。

おだやかな気持ちでいられる2010/07/13 23:32:41

コミュニケーションということを考えるとき、手話を覚える前と覚えた後とを比べてみると、ずっといまのほうが豊かなものになっているという感じを抱く。言い換えれば、手話を身につけたことで世界が広がった、と言えるだろう。

もちろん場面で変わってくる。仕事場では残念だけれど聞こえる人ばかりゆえに、手話を使う機会がほとんどない。筆談ボードを使っての会話中心になる。それはそれで楽しい一方で疲れる。書いてもらう負担もある。
手話が使える、ろう者や難聴者といる場では、わたしにとってのメーン言語である日本語と手話の両方あるいはどちらかを使ってのコミュニケーション。聞こえる人の中で聞こえないのに無理やり合わせる疲労感を感じることがない。スムーズに楽しく会話を交わせる。

だが、やはり手話を身につけたことが、世界が広がったと強く感じる大きな理由だ。穏やかな気持ち、自然体でいられる。

今日の手話教室に来た、聞こえる人にわたしの舞台について書いた、お知らせを手渡す。これとは別に通っている手話ソングダンスのワークショップで、仲間に舞台についてお知らせと案内をしてみた。

あとはわたし次第。
聞こえる人と聞こえない人、聞こえない人。ろう者と難聴者。それぞれの目に見えないバリアを壊すことになればいいなと。
そのためにもわたしが変わっていけば自然と、「ベルリンの壁」は壊れていくのだろう。

右手と左手2010/07/14 00:01:42

手話つき朗読『ゆずり葉』のご指導をいただく、7月2週目。

疑問点や「こうしたいな」「こういう表わし方はどうですか」と、手話を指導してくださる先生にメールでお尋ねしていたことだが、メールでは伝わりにくい微妙なニュアンスも含めてみていただいた。

まず通しで初めから終わりまでやってみたあとで、場面ごとに区切ってチェックと疑問を確かめた。初めから終わりまで要したタイムは、おおよそ想定内の8分前後。

指文字を正確に表わすこと。先週あった声のご指導でも言われたが、「早瀬憲太郎」「吾朗」「さやか」といった人名を指文字で表す。ここであせったりつまづいたりしてはあとあと台無しになる。ゆっくり表わすこと。

「ふわりと甘辛いにおい」「ひょいと」
いかにもにおいがするように、鼻で呼吸をする。前からのぞくように指さして。イメージが大事。

先生にメールでお尋ねしたのは、両手で登場人物を表わす、区別と言うか使い分けについてだった。
さやかが吾朗に詰問する場面。
「自分も聞こえないのに、同じ聞こえない人を見下げて」についてだった。

「自分も聞こえないのに、同じ聞こえない人を」というくだりを、これまでは右手だけで表わしていた。まず、右手で自分を指し、それから耳と口に手をあて(ろう)、両手で同じ、右手平を下に前へ出して「みんな」。
そうすると、「見下げて」で表わす動作、左手親指を立てて(=吾朗)上に上げ、反対に下にさげた右手の「みんな」という表現がわかりにくくなる。突然左手親指を上にする理由がわかりにくくなる。ろう者にも読み取れないのでは。

使い慣れないけれど、「自分も聞こえないのに、同じ聞こえない人を」を思い切って左手で表わしてみた。
まだスムーズではないけれど、さらに思い切って左手の「吾朗」と右手の「同じ聞こえない人」を、離して上下の間隔をあけてみた。そうするとよりはっきり、吾朗と同じろう者の関係が伝わる。

日本手話はイメージも大事だ。もっと練習を積み重ねてスムーズな動きになるようにしたい。

あのころの自分に負けないように2010/07/15 23:08:05

キーボードをたたくのもちょっとつらいほど肩が痛い。年をつくづく実感させられている。ナサケナイ。
卓球練習を終えてまもなくにこれを書いている。

卓球を始めたのは小学校4年生のころだったか。
はじめはサッカーをやりたくてサッカークラブに入った。たしかオレンジと緑のサッカーユニホームとパンツ、サッカー専用のシューズも買った記憶がある。でもまだ「練習中に水を飲んではいけない」という精神論根性論が幅を利かせていたあのころ。隠れて水を飲もうなら白い目で見られていたものだ。そんなこんなでサッカーをやめて、卓球に移った。

初めて買ったラケットはペンホルダー。そのままだと痛くて握りにくいラケットの親指と人差し指が当たる部分、グリップの根元を紙やすりでゴシゴシこすって握りやすくしたのを覚えている。これもいま振り返ってみたら結構子どもにとっては面倒な作業だったな。いまはシェークハンドを使って、両面を使って打ち返せる。

今日の練習ではツッツキやカットも左右に打ち分ける練習やスピードボールを打つラリーなど、いろいろこなした。
おかげでちょっと肩が痛くて、上げられないわけではないのだがきついね。

8年前に再開するまでの30年余りのブランクがあるけれど、とても楽しい。
今日の練習中、小学校の卒業アルバムに載っている自分、あのころのことを思い出した。
あのころの自分に負けないように、もっとうまくなりたいものだねえ。

けっこう高いねえ2010/07/16 21:18:38

まだ400メートルにもなっていない
ランチ時に外に出て帰る途中、東京スカイツリーが見えた。一緒にいた仲間に「スカイツリーじゃないか?」と聞いてみたけれど彼女が振り向いたときは見えなかったようだ。
帰りに同じ場所で撮影してみたのが、これ。

けっこう高いねえ。まだ400メートルにもなっていないのだけど。400メートルを超すのは今月末か来月初めだろうか。

暑い一日。軽いめまいを覚えた。

だからこそとプラス思考で2010/07/17 23:06:59

朗読のレッスンで、「できたんだろ、赤ちゃん」というせりふの読み方をご指導いただいた。きつい、というよりもっと不満や怒りを感じさせる読み方をしなさい、とのアドバイスだ。あまり感情を入れすぎると手話の動きが速くなりすぎてしまう。気をつけつつ読みこなしたい。
夜にあった手話サークルのあるメンバーからその朗読舞台についてきかれた。反応をいただけたことがうれしい。
何人来てくださるかを気にするのではなく、当日までにどれだけやれることやらなければならないことをしたか、に目を向けよう。

来月は朗読のレッスンが1日しかない。だからこそ練習をこなせる時間があるのだ、とプラス思考でいこう。

梅雨が明けた。
とはいえ、広島や島根、岐阜や長野で土砂崩れなどの災害がおき、東京都板橋区でも突然の豪雨があった。

その梅雨明けによる空気の乾燥だろうか、耳鳴りがひどかった。
そんな体調のときは手話の表現も読み取りやすい、といわれてやや、苦笑。

ふらついて歩くのはそういうことなんだ2010/07/18 23:07:28

自分では普通に歩いている……つもりなんだけど、時々ふらついて歩くことがある。平均台ではなくても、廊下に一本の線が引いてあるようにイメージしてその線の上を歩いてみても、はじめの数歩はまあ何とか歩けるが、だんだん曲がってしまって、線から脱落してしまう。

知らない人が見ると、たとえばたまたまそばに女性がいるときなど、近寄っているのではないか? などとあらぬ疑い(?)をかけられてしまう。

ふらついてしまう原因は、わたしの聴覚障碍にある。

耳の中の三半規管に水がたまるとめまいが起きる。そのために、立っているときにバランスを崩してしまうことがある。歩いていてもたまにふらついたりまっすぐに歩けなかったりするのだ。聴覚障碍者すべてがそうだというわけではないが、重度難聴になりめまいなどがかさなると、そういうこともある。

フットボール選手など、わたしがこころから尊敬するスポーツや選手はたくさんいるが、なんと言っても平均台やマットの上でいともたやすくジャンプしたり台に足をつけたりする体操選手。彼らにはただただ驚嘆するほか、ない。

笑い話ですめばいいけれどね。
あらぬ誤解を受けるのはまっぴらごめんだけれど、しかしふらついて歩くのはバランスを崩してしまうことなんだ、と思ってもらえたらうれしい。