難聴と補聴器のウソ・ホント【質問編】2010/06/11 08:28:47

昨日のある全国紙朝刊を開いたら、「難聴と補聴器のウソ・ホント」という全面広告が出ていた。
お読みになられた方もいらっしゃると思うが、ここでこの記事にあった、質問を掲げてみたい。

Q1  難聴の原因で一番関係があるのは加齢である ホントかウソか?

Q2  耳鳴りや難聴は糖尿病や高脂血症といった生活習慣病とは関係ない ホントかウソか?

Q3  軽い難聴なら心配ない ホントかウソか?

Q4  75歳以上の2人に1人は補聴器が必要なレベルの難聴である ホントかウソか?

Q5  難聴はうつや認知症の原因ともなる ホントかウソか?

Q6  補聴器を装用することによってコミュニケーションの楽しさや聞き取り能力が回復する  ホントかウソか?

Q7  補聴器は両耳につけるのが望ましい ホントかウソか?

みなさんはホントとウソ、いくつ回答をつけられましたか?

答えは明日、ここにアップします。

難聴と補聴器のウソ・ホント【回答編】2010/06/12 23:40:04

昨日書いた難聴と補聴器のウソ・ホント【質問編】。みなさんはホントとウソ、いくつ答えをあげましたか?

Q1  難聴の原因で一番関係があるのは加齢である ホントかウソか?
    
ウソ。亡くなったわたしの祖父も晩年にはたしかに補聴器をつけていたけれど、難聴になるのはむしろどういう生活環境で過ごしたか、また動脈硬化などが原因であることが知られています。ほかにも騒音の激しいところに長時間いる、イヤホンやヘッドホンで音楽を長時間聴いているなどというのは、けっして耳にとってよいことではありません。
わたしの場合は、はしかだと小学校時代の連絡ノートにあったのをいまでも覚えていますが、もういまとなっては確かめようもありません。

Q2  耳鳴りや難聴は糖尿病や高脂血症といった生活習慣病とは関係ない ホントかウソか?

ウソ。この記事によれば「頸動脈内膜中膜肥厚」という動脈硬化が難聴の原因だ、とあります。アメリカでは糖尿病患者は2倍も難聴になりやすい、というデータがあるそうですが。

Q3  軽い難聴なら心配ない ホントかウソか?

ウソ。難聴は重い軽いに関係なく、人には気づきにくい障がいです。わたしが難聴だとわかったのは、テレビを見るときに首をかしげたりテレビの前に座ったりしていたことがきっかけでした。
会話で聞き返すことがあったり、ほかの人が話しているのに気づかなかったりすると、経度難聴が始まっているきっかけである可能性もあります。
もっと重要なことは、コミュニケーション上で、外界の変化に対する注意不足を招き、さらには抑うつ状態になることもあるのだということです。

Q4  75歳以上の2人に1人は補聴器が必要なレベルの難聴である ホントかウソか?

ホント。75歳以上になると言葉の聴き分けに影響のある高音域が50デシベルを超えるのだそうです。2人に1人は補聴器が必要なレベルだとか。わたしの聞こえのレベルは、記事にあるグラフにあてはめれば75歳以上の聴力レベル。110デシベルを超えて重度難聴です。

Q5  難聴はうつや認知症の原因ともなる ホントかウソか?

ホント。聞き返しや言い直しの繰り返しから、周囲への興味や関心を失い、やる気も意欲も積極性もなくなっていく人も少なくないそうです。

Q6  補聴器を装用することによってコミュニケーションの楽しさや聞き取り能力が回復する  ホントかウソか?

ホント。ただしわたしは、これは個人差と、その人の聞こえに補聴器が合っていれば、という但し書きをつけたいと思います。
補聴器をつければ完ぺきに聞こえるわけでも聞こえが戻るわけでもありません。わたしも補聴器に無知な人からそんな質問を聞かれましたが、機械であることをお忘れなく。
けれども、はじめは静かなところで補聴器をつけ、次第に会話の中に入っていく、というように、徐々に慣らしていけば、聞こえのレベルそのものは変化はありませんが、表情や生活に張りが出てくることは間違いありません。わたしの場合は補聴器に加えて手話という存在が大きいのです。

Q7  補聴器は両耳につけるのが望ましい ホントかウソか?

ホント。これはわたし自身が身をもって経験しています。つまり両耳に補聴器をつけています。
片耳だけより音の広がりや方向がわかるのと、自分の置かれている空間に立体感が感じられます。脳をバランスよく使うことにもつながるとか。たまに、左耳に音があるな、聞こえているな、と感じたときはなんとなくホッとしたりうれしくなったり。

みなさんはいかがお感じでしょうか?

いのちの重み 農家の人たちの苦しみ2010/06/13 07:56:35

いろいろ書きたいことがあるのだけれど、どうしても書いておきたいこと。

今年春からテレビや新聞で報道されている、宮崎県での家畜伝染病、口蹄疫。

10日朝に新たに感染の疑いが3カ所で出たという。すぐに豚が殺処分され、殺処分された豚を地中に埋めている写真が新聞に掲載された。11日のランチ弁当はたまたま黒豚だったが、なんともいえない思いを感じながら肉を口に運んだ。

高校時代、知的障がい者の授産施設に数日間実習でおじゃましたことがある。
彼らとともに働き、ふろに入ったり夜に遊んだり、職員の人たちに交じって職員会議に参加したり。得難い貴重な経験だった。
豚の出産に出あったことはいまでも忘れられない。夜遅くに職員や入所者に教えられるようにして豚舎に入って、出産に立ち会った。その翌日だったか今度は、食肉にするために豚をおくる仕事に立ち会った。実習で生と死を間近にみた体験は、自分もまた生きている生かされている存在にすぎないのだということを肌身で知る体験でもあった。

マイはしを持ち歩き自炊をはじめて、地球環境や食物連鎖などという問題と向き合い、あの高校時代の体験がますますわたしのなかでふくらんできた。その上に起きた口蹄疫の問題である。

感染疑いが出てから時を待たずにすぐ、殺処分された牛や豚は物言わぬがゆえに、どれだけ苦しみ悲しかっただろう。まして彼らを自分の家族同然に丹精込めて育ててきた、畜産農家の人たちの思いはいかばかりだろう。
消費者としてあたりまえに口にしているわたしたちは、牛や豚や、そのほかの生きものからいのちをいただいて生かされている。そのいのちを育てている人たちがいるのだ、ということにどれほど関心や思いを向けているだろうか。

口蹄疫が出たから危ないとか口にできないとか、必要以上に不安をあおり、それに乗っかるのはやめたい。一番よくないのは不必要なまでに不安をあおることだ。
そうではなく、いのちの重みと農家の人たちの苦しみをこころに刻んでいま一度、わたしたちは生かされているのだということを忘れないように。

どれだけ悲しみ苦しんでいるか、ほんとうに農家の人たちに思いをはせたい。

7年間はあっというまだけれど2010/06/14 23:31:40

いまごろはサッカーのワールドカップ、カメルーン対日本戦の真っ最中。ワールドカップが開幕してから、再放送も含めて見たのは、イングランド-アメリカ、ギリシャ-韓国、それくらいしかない。
今日は仕事のあとで渋谷へ行く用事があった。スポーツバーで日本代表のジャージを着ている熱心な店員さんかファンらしい人を見かけたけれど、中に入ることもせずにすぐに帰ってきた。ほかにやらなければならないことやりたいことがあるのでね。というわけで、実をいうとカメルーン対日本戦も見ていないのだ。あいにくだけれどまったく関心がなければ、興味もない。

小惑星「イトカワ」に接近してその砂を回収する目的で7年前に地球から打ち上げられ、昨日午後11時ごろに大気圏突入、オーストラリアの先住民区域に落下した、小惑星探査機「はやぶさ」のカプセル。
いくたびもの故障や困難を越えて地球に戻ってきた、その長い道のりに、こころ動かされた人が多いらしい。なんでも、プラスチックモデルがつくられたとか、地球に帰還間近になって、話題になったそうだ。

けさの朝刊1面に、大気圏突入とともに白い尾をひく「はやぶさ」の写真が掲載された。サッカー代表なんかよりはるかにこちらのほうがわたしにとって魅力も関心も大きい。
しょせん機械だ、と言ってしまえば身もふたもないのだけれど、日本の宇宙技術が高いレベルにあるという事実――「はやぶさ」そのものは大気圏突入とともに燃え尽きたそうだが、分離されたカプセルの落下地点が予測と1㌔しか離れていなかったということに驚く。
以前ここでも書いた、故カール・セーガン博士の著『コスモス』にもあるように、宇宙のスケールは地球のそれなんかよりはるかに深遠で広大なものだ。「はやぶさ」が宇宙空間を飛行していた7年間は宇宙の尺度ではあっというまに等しい。

感動する人が多いという、朝刊1面に掲載された「はやぶさ」の写真とその歩み。
ではひるがえってわたしは、神のもとに帰るその瞬間に、はたして何かを遺せたと言えるだろうか。これまでの歩みを振り返りつつ、これからの歩みをどうしたいのか。
今日学んできた手話ソングのワークショップや秋の舞台、いつか実現させたい『聞こえる人も聞こえない人も楽しめる朗読舞台』の実現という夢に、わたしにとって魅力も関心も大きい人生の旅、目的に。
「はやぶさ」に恥ずかしくないように。

辛いのがお好き2010/06/15 21:40:28

結局、昨日のワールドカップ南アフリカ大会、日本対カメルーン戦は試合中継をまったく見なかった。日付が変わった今日未明に結果を知ったけれども「ああ、それで? おめでとう」と、それくらいしか感じない。だいたい大騒ぎするのが嫌いで、ああやって盛り上がるのを見ていると疲れるわ付き合いきれないわ、である。
スーパーボウルやワールドシリーズで、対戦する都市の市長がかけをやることがある。といってもたあいのないもので、「負けたら買った都市の市旗を一週間、市庁舎に掲揚する」といった具合。
はっきり言ってしまうとサッカーには全く興味がありません。日本代表には特に。

この話はこのへんにして。

以前買っておいたウインナー。どうしようかなと思案して、あるマンガに掲載されていた料理をヒントに、ちょっとつくってみた。

ウインナーに切り込みを入れて熱したフライパンに、野菜セットと一緒に炒める。それぞれ焦げ目がついたところで、豆腐をサイコロのように切って炒める。このとき型崩れに気をつけること。キムチを入れ、次いで残り汁をしょうゆを足して入れる。最後に生卵を溶き卵にして回しかける。半熟のうちにさっと混ぜ合わせて、塩・こしょうをふりかけて味を整えて、できあがり。好みに合わせて、豆板醤を加えてもいいし、ウインナーに粒マスタードをかけてもいい。

辛いのが好きなので、けっこういける。ブロッコリーやアスパラなど野菜があればもっとおいしいね。

コンタクトレンズを2枚つけていた2010/06/16 23:02:39

あわてものだなあとつくづく感じたのは、仕事の前にコンタクトをつけたときのこと。
トイレの洗面台でコンタクトをつけたはいいが、左目だけぼやけてみえる。それもまるで牛乳ビンの底のような、まるで度の強いメガネをかけたかのようだ。へたをするとめまいでも起こしそうだ。
コンタクトがちゃんと眼についたかどうか確かめるために、持ってきたメガネをかけると、右眼ははっきり見える。左は……さらにぼやけてみえる。え?
あわてて左眼を確かめてみたら、なんと、コンタクトレンズを2枚つけていたのだ。つまり本来は右眼につけるべきものを左眼にもつけていたのだ。それじゃぼやけて見えてあたりまえだよ。
どうしようもない。アホだ。

今日は朗読の手話訳づくり。残りの部分を訳してみた。
さらに初めから通しでやってみて表現の細かい部分を変えてみる。

どこをどう直したかなど、細かいところはあらためて、書いてみたい。

ふとした瞬間に、ほんとに自分でも意識しない瞬間に2010/06/17 22:06:29

仕事から帰ってくる夜はいいんだけれど、朝から昼がしんどい。梅雨の蒸し暑さのせいだ。食事も気をつけなくてはならないから。

さて卓球をやってきて、いろいろ感じることがある。
はじめたばかりのころは30年近いブランクでとてもじゃないけれど、へたなんていうレベルではなかった。前に飛んでくるボールはまあある程度は打てるのだけれど、左右になるともうだめ。上級者がわざと左右に振ってくるのを、追いかけるのが精いっぱいだった。

それが、だんだん続けてくるにつれて、左右前後、スピードボールでも緩い球でも、対応できるようになった。コーチの強く速い球やちょっと前まで打てなかった、カットやツッツキという、球に回転をかけて浮き上がらせたりカーブをかけたりする球が返せるようになった。返せるどころか、自分でもカットやツッツキをかけられるようになり、バックハンドでカットやツッツキをかけたり卓球台から下がったり前に出たり、それなりに変化のあるプレーができるようになった。

「継続は力なり」という言葉と、コンプレックスという言葉を思い出す。
いまはへたでも続けていこうという強い気持ち。そして自分がほかの誰よりもレベルが劣っていてへたくそでどうしようもなくて、だからこそうまくなろうという気持ちが大事なのだろう。ふとした瞬間に、ほんとに自分でも意識しない瞬間に、それまでできなかった技術やプレーができるときがある。
「天才」といわれるシアトル・マリナーズのイチローや2009年シーズンのスーパーボウルチャンピオン、ニューオーリンズ・セインツのドリュー・ブリーズだってきっと、コンプレックスや壁にぶつかったことがあるはずだ。

昨日の朗読の手話ご指導をいただいたあと、居酒屋で出た話題だが、最近の若い人には、自分の人生や進むべき道について、ひとつしかない、と思い込んでいる人が多いそうだ。
でもそんなことはない、とこのトシになってしみじみ思う。
回り道あり、曲がりくねった道あり、上り坂があれば下り坂もある。険しいと感じることもあるだろうし、いやだな、進みたくないなあと思うかもしれない。一方で楽に歩ける道もあるし、歩きながら楽しくなることもあろう。
人生って、そんなに捨てたもんじゃないよ。

わたしがホントにひょんなきっかけからいままでできなかったプレーや球が打てたように、人生できっといつか花開くときがくる。
だからわたしはあきらめないし、自分でも意識しない瞬間に幸せが訪れることを確信している。

みなさんも、どうかあきらめずに、自分の道を歩いて行ってほしい。こころからそう願わずにはいられない。

さんざんな金曜日2010/06/18 23:28:04

今日はサッカー日本代表の試合がなかったので、ホッとしたというか安心したというか。ギャアギャア騒がしいのが嫌いだ。

数日前からせきがひどくて、今日も診療所へ薬をもらいに行く。トローチとのどの炎症を防ぐ薬をもらってきた。
そればかりではなく、自宅で左の補聴器の電池を落としてしまい、さらには右耳の補聴器も電池の残量があるのに、終日ほとんど音が聞こえなかった。周りが何を言っているのかわからないし、笑顔で話しているときほど、なにか悪いことを言っているのではないかと疑心暗鬼になる。頼むから、わたしに関係ない話のときは前もって言ってくれませんかね?

冗談はさておき、明日まで関東にかけて大雨になるようだ。
帰りは傘もいらなかったけれど、この様子では明日は、終日傘が必要だろう。

興味がないだけ2010/06/19 09:58:00

これも見る位置によっては曲がって見えるらしい
あんまり周りが「サッカー」「日本代表」「ワールドカップ」と騒ぐものだから、わたしはこの騒ぎが嫌いで、大会前は日本代表の3戦全敗を期待してしまったほどだ。カメルーン戦で勝ったものだから、マスコミも市民もそれまでの悲観ムードから一転、手のひらを返したように次戦のオランダ戦も勝てる、いやオランダにもつけいるすきがある、こうすれば勝てるなどと盛んにあおる。わたしに「いまからでも遅くないから南アフリカへ行ってみたら」だの「パブリックビューイングでみんなと応援してきたら」と言う。
冗談ではない。仮に南アフリカまでの航空便チケットを買えたとしても、試合チケットはFIFAが認めた正規代理店でしか購入できない。闇チケットをあてにしてもスタジアムに入れるわけはない。パブリックビューイング? 今日夜は予定があるからそもそも無理。パックツアーと同じく、知らない人たちと一緒に騒ぐのは嫌いだ。冗談も休み休み言え、と本気で頭にきている。状況を知らずに平気で言うのがホントに嫌いだ。

たしかにトロントやオークランドで地元の観客と一緒に騒いだ。3年前は対戦相手のサスカチュワンのファンと、ホテルまでの帰りの道すがら、ああだこうだと盛り上がった。だがそれは純粋に、フットボールが好きで雰囲気も味わいたいから、ましてひいきチームの応援で騒がないわけにはいくまい。
別に取り立てて興味も関心も好きな選手もいない、サッカー日本代表なんか応援したいとも思わない。そもそもサッカーには全く関心も興味もないからね。

オランダ料理食べて勝つ…小学校でW杯給食
http://www.yomiuri.co.jp/wcup/2010/news/etc/news/20100619-OYT1T00053.htm

記事では「外国の食文化への関心を高めようと毎月1回、外国料理をメニューに取り入れている」というけれど、オランダの一般家庭で食べられている料理を食べたから、オランダに勝つとか勝てるとかいうのも、気持ちはわかるが、好きになれない。昔、高校野球で試合前にトンカツを食べたチームがあったけれど、あんな真夏の朝からトンカツを食べて勝てると本気で思っていたのだろうか。

こういうわたしを「へそ曲がり」「ひねくれ者」と、ある人が言ったが、わたしはそうは思っていない。単に興味がないだけだ。

ちなみに「へそ曲がり」「ひねくれ者」という手話単語はある。
おなかのへそをさしてくねくね道が曲がる……ではない。親指を横におなかにあててねじるように右から左へ(左手の人は左から右へ)おなかの前を横切る。

試合は0-1で日本が負けた。およそ5時間後にあるときいている、カメルーン-デンマーク戦の結果で変わってくるだろうが、まだ勝ちのないカメルーンとオランダに負けたけれど日本に勝てばグループリーグ突破の可能性があるデンマーク。どちらが有利だろうか。(19日22時30分記)

おいおい……2010/06/20 18:40:15

別に夕日を、こういう話題だからなぞらえて使ったわけではないのだが。それにしても、だ。

名古屋場所できるの? 中止なら78年ぶり
http://www.asahi.com/national/update/0618/TKY201006180594_01.html

相撲部屋での暴行事件、大麻、元横綱の付き人への暴行事件。春先にこの元横綱が引退して春場所が開かれたと思ったら、今度は人気力士や親方の野球賭博が発覚した。

もう遠い昔になってしまったかのようだけれど、まだ祖母が元気だったころに、おみやげを買ってあげようと両国は国技館へ行って、一日だけ本場所を見たことがある。若貴時代のころだ。当然、人気は高く、チケットもなかなか手に入らなかった。まして升席だとか砂かぶり席なんて無理。砂かぶり席は「維持員席」といって、日本相撲協会に多額の寄付金をするほど熱心なファンでないと座れないのだそうだ。それが暴力団の手に渡るなんて、本来の相撲ファンをないがしろにしていないだろうか。
ともあれ、今回の不祥事は相撲人気低下につながるどころではなく、名古屋場所が中止になるかもしれないという報道もある。中止になれば観客動員はもちろんNHKのテレビ生中継放送、海外邦人向け録画放送もなくなるし、おみやげや弁当など販売収入にも大きな影響があるに違いない。

泉下の祖母は北の湖や千代の富士が好きだった。祖母がこのありさまをみたら、なんと言うだろう。草葉の陰で泣いているかあきれているか。
相撲が「国技」かどうかはさておき、ほんとうに相撲が千秋楽ではなく落日というようになったら、それこそおしまいであろう。