いつの日かわからないけれど2010/06/27 21:48:26

32年ぶりに再会した小学校の同級生から、しばらくまえに詩集をいただいた。角川SSC発行の『生きる』という本。著者は谷川俊太郎さんです。

いろいろ読んできてこんな詩に出あいました。

          それはいつか分らない。
          最後の瞬間なのかもしれないけど、
          「あぁ、私はこの瞬間のために生まれてきたんだな」
          という時に出会うため


もうひとつ、こんな詩もあります。

          おのおのがそれぞれの光のある場所を探し立つこと

手話つき朗読は、毎年やっていてほんとうに難しい。
今日『ろうを生きる 難聴を生きる』という番組(NHK教育、午後7時30分~45分)をみていて、語り手の話す日本語を手話に直すとき、話される日本語が長く、逆に手話に直すと短くしなければならない、という話が出ていた。手話つき朗読の難しさのひとつが、これである。
しかし、難しさというのは裏側から見れば、どうしたら手話に直して、わかりやすく伝えられるだろうか、ということを考えることでもある。

4回目になるけれど、これでいい、と思ったことは一度もない。むしろ逆で、毎回手話訳について先生に意見を出したり教えていただくことの繰り返し。だがそれが新たな発見になったり自分で考えることにつながり、さらには舞台に向けてもっとがんばろうという意欲につながる。

聞こえなくて普通に話せて手話ができる。
そのややこしいからだだからこそ、自分が光のある場所を求め、そこで表現できる喜びを表し、たった10分でも自分のすべてをかけて表したい。

はじめて手話つき朗読をやりたいと周囲に相談したとき、「無理だ」「できるわけがない」と言われた。でもここまでやってこられた。

いつの日かわからない。わたしの星での生が終わる瞬間かもしれない。
でも誰にも「この瞬間のために生まれてきたんだな」と言えるときがある。
光のある場所に立つことができるように、有限な時間を大切にしたい。