いのちの重み 農家の人たちの苦しみ2010/06/13 07:56:35

いろいろ書きたいことがあるのだけれど、どうしても書いておきたいこと。

今年春からテレビや新聞で報道されている、宮崎県での家畜伝染病、口蹄疫。

10日朝に新たに感染の疑いが3カ所で出たという。すぐに豚が殺処分され、殺処分された豚を地中に埋めている写真が新聞に掲載された。11日のランチ弁当はたまたま黒豚だったが、なんともいえない思いを感じながら肉を口に運んだ。

高校時代、知的障がい者の授産施設に数日間実習でおじゃましたことがある。
彼らとともに働き、ふろに入ったり夜に遊んだり、職員の人たちに交じって職員会議に参加したり。得難い貴重な経験だった。
豚の出産に出あったことはいまでも忘れられない。夜遅くに職員や入所者に教えられるようにして豚舎に入って、出産に立ち会った。その翌日だったか今度は、食肉にするために豚をおくる仕事に立ち会った。実習で生と死を間近にみた体験は、自分もまた生きている生かされている存在にすぎないのだということを肌身で知る体験でもあった。

マイはしを持ち歩き自炊をはじめて、地球環境や食物連鎖などという問題と向き合い、あの高校時代の体験がますますわたしのなかでふくらんできた。その上に起きた口蹄疫の問題である。

感染疑いが出てから時を待たずにすぐ、殺処分された牛や豚は物言わぬがゆえに、どれだけ苦しみ悲しかっただろう。まして彼らを自分の家族同然に丹精込めて育ててきた、畜産農家の人たちの思いはいかばかりだろう。
消費者としてあたりまえに口にしているわたしたちは、牛や豚や、そのほかの生きものからいのちをいただいて生かされている。そのいのちを育てている人たちがいるのだ、ということにどれほど関心や思いを向けているだろうか。

口蹄疫が出たから危ないとか口にできないとか、必要以上に不安をあおり、それに乗っかるのはやめたい。一番よくないのは不必要なまでに不安をあおることだ。
そうではなく、いのちの重みと農家の人たちの苦しみをこころに刻んでいま一度、わたしたちは生かされているのだということを忘れないように。

どれだけ悲しみ苦しんでいるか、ほんとうに農家の人たちに思いをはせたい。