どうやってもねえ2010/05/10 23:57:23

今日午後2時から、6月に南アフリカで開かれるサッカーワールドカップ日本代表選手の発表があった。
「日本代表」について、どちらかといえばアメリカンフットボールと野球のそれには関心があるけれど、サッカーのほうはあまり、というよりほとんど関心がない。とはいえ、Jリーグや海外サッカーのニュースも見たり聞いたりしているから、いろいろ考えさせられた。

フットボールでいえば、タッチダウンをあげられないということ。つまりはっきり言ってしまうと得点力不足があるのではないだろうか。
発表後すぐにネット上では賛否両論、というより「おかしいのではないか」という否定的な意見が多かった。国内では通用しても海外ナショナルチームとの対戦で勝てないか、得点をあげられないかという状況では、こういった意見が出るのもやむを得ないのかもしれない。
ブラジルやアルゼンチンあたりだったら、「得点力不足」なんていう次元では済まないだろう。常に勝つことを求められる強豪だから、へたをすると負けて帰ってこようものなら選手はもちろん監督も命の保証がない、というくらいだから。
そういうレベルではないだけまだ、日本はましなのかもしれない。

人間のやることに完ぺきなどあるわけはない。どう考えても、勝てる人材や戦術や技術が世界レベルに達していないわけだから、あまりあれこれと要求しすぎているのではないか、と選手やコーチに同情したくもなる。プロだから批判されるのは当然だけど。

仕事のあとに手話ソングのレッスン。
とても楽しく学べた。大げさなパフォーマンスを入れて笑いをとってみたり、けれど気持ちは前に出して。

朗読の練習もつまづくことがまだあるけれど、徐々につかんでいる。

幅が広がることだろう2010/05/11 23:43:45

子どものころ好きだった食べ物は年を重ねた今も忘れられない。いや、年を重ねたからこそ懐かしくもあり、また口にしたいと思うものだ。

今日食事のあとに、アスパラとブロッコリーの調理をしてみた。
アスパラはマヨネーズをかけて食べたものだし、ブロッコリーもドレッシングをかけたりカレーに添えたりしたものだ。

聞こえないからIHで調理をしてきたのを、不安があるけれど思い切って(笑)ガス調理に変えてみた。IHは便利だけれどひとつしかないから、2つ別々につくらなければならないなんてときには、不便というか使い勝手が悪いね。

いろいろやって覚えてきたから、魚料理など、幅が広がることだろう。
弁当も含めてメニューが広がるのがとても楽しみ。

生きたコミュニケーション2010/05/12 23:31:23

まだまだ捨てたものではないのかもしれない。
インターネットが発達して、「居ながらにして」どころか、いま起きた出来事がリアルタイムでテレビやパソコンに飛び込んでくる時代。ラジオや無線といったテクノロジー、通信技術はまるで化石にでもなったかのように思われたり見られたりしていたものだが、どっこい、ネットが普及しているかの国でもまだMUSENがあるのだねえ。
いまアキハバラはネットとオタクとAKB48の街になってしまったけれど、わたしが小学生のころはラジオの街だった。


アマチュア無線、米国で静かなブーム?
http://excite.co.jp/News/column/20100408/Slashdot_10_04_08_075220.html

1981年と比べて60%も増えていて、現在もアマチュア無線免許を持っているのは70万人だそうだ。これが多いかどうかはともかく、居ながらにしてという意味では、無線もネットも同じかもしれないが、何かが違う。
記事に「アマチュア無線はiPhoneのようなセックス・アピールはないが、一種の『nerdアピール』が確実にある」。「アマチュア無線には他とは異なる独自のエクスピリエンスがあり、これが鍵となっていると指摘する」。

考察してみよう。
ネット上では玉石混交、うそや出典・根拠さえもはっきりしない記事や発言がその日のうちににぎわう。そしていったん出た意見に、じっくり考えたり冷静に対処するまもなく「わぁ~っ」と流されてしまうこともある。
アマチュア無線の場合は、音声言語やモールス信号による通信形態であり、聞こえてくるコールサインや会話を吟味して反応することができれば、また、話している相手は遠くの国の会ったこともない人であるということで、コミュニケーションをするうえで濃密かつ人間味のある触れ合いになるのだ。
わたしも覚えがある。
昔、札幌からペルシャ湾岸を航海していた日本国籍タンカーと交信できたとき。冬の藻岩スキー場から韓国の日本語を話せるアマチュア無線局とコンタクトがとれたとき。ワクワクするような興奮と感動を味わったものだ。30年以上たって、ほとんどラジオの音が聞こえなくなってしまったいまでも忘れられない。

And who knows? Maybe the next time there's a Haiti-earthquake-sized disaster, you'll be one of the thousands of ham volunteers that provided the only communications in/out of Haiti for weeks following the quake, not to mention all of the tactical comms the country had for nearly a month.

ハイチの大地震のさいもアマチュア無線家が震災後のかの地との通信を手助けしたという記事に、ネットではできない、生きたコミュニケーションを感じた。
ネットも電子書籍もiPodもけっこうだけれど、コミュニケーションは人と人とのふれあいだからね。ネットでは無味乾燥したものでしかない。

めがねに変えたら2010/05/13 23:40:02

一日からだがだるいわ、首から肩から痛いわで、さんざんな具合だった。

夜に職場の仲間たちと手話を教える教室をひらく。喫茶店の中は席が埋まっていて、外に出たけれど、かえって寒く感じたかもしれない。寒いのに外に出して申し訳ないと思う。仲間たちが楽しく学んでもらえたら、どんな苦しみも霧散するだろう。

終了後、デジカメのコンパクトフラッシュからCDに焼いてもらうために、大型電気店に行く。用件を済ませて、同じ店にあるコンタクトレンズ売り場に向かった。レンズケースとレンズをつまむピンセットを購入。アホなもので、仕事のあとでレンズを外してケースに移すつもりを、レンズケースを自宅に置き忘れてしまった。
店内でレンズを外してめがねに変えたら、首や肩やひざの痛みがいくぶんはとれた。

明日も気温が低いらしい。

プロセスと練習を重ねることがとても楽しい2010/05/14 23:58:34

寒さが今日も続いて、ちょっとこたえた一日。

その今日は夜から、手話つき朗読舞台の手話訳づくりと練習。

何度もここで書いたことだけれど、手話を使って朗読をするにあたってのコンセプトというか基本ルールは――
まず、中途難聴者が使う、日本語の文法に沿って表す日本語対応手話と異なり、ろう者が使う日本手話あるいは日本手話的手話で表すこと。ろう者にも中途難聴者にもわかる手話が目標。
次にもとになる台本は基本的に変えない。一字一句、変えたりカットしたりしない。著者の意図を尊重するため。

ということを踏まえて、先生からいただいたことは、「手話表現はできるだけシンプルかつ明瞭に、表すときはゆっくりはっきりと」。

今日、いくつかの手話表現を変えてみた。

「台所から、ひょいとさやかの顔がのぞいた」
顔がのぞいた、を「さやかの顔が見えた」としたのだけれど、さやかがこっち(吾朗)を見たのだから、さやかがこっちを向いたように、ゆっくり指をこちらへ向けるようにしてみた。

「いつもの笑顔が目に痛かった」
つらい、と訳した「目に痛かった」だけれど、目を合わせづらいという意味で、吾朗の目線を下にずらすようにする。

「さやかの手の動きが止まる」
先生と議論を交わしたのは、さやかが手を止めたのはどこから、ということだった。前のくだりでエプロンで手を拭いているとあるから、もう料理は中断しているか料理が出来上がっていて終えているかのどちらかだろう。とするなら、手の動きはエプロンで手を拭いているときから始まっているはず。吾朗が「主人公が妊娠を告げられるシーン」というところで、同じように妊娠しているさやかも、自分に突きつけられたような気がしてうろたえ戸惑っただろう。いきなり手を拭くしぐさを止めるのではなく、手の動きを止めるようにしたほうが、感情の動きが表われるのではないか。

さきに「手話表現はできるだけシンプルかつ明瞭に」と書いた。
「そんな大事なこと、なんで早く言わなかったんだよ!」
日本語対応手話なら、大事+こと+早く+言われる+なぜとなるだろう。
このせりふは感情を込めたものだから、このとおりにやるとあわてたり速すぎて表現したりしてしまう。
そうならないように、大事+こと+(さやかを指さして)内緒(口にチャックをするしぐさ)+なぜとしてみた。

もちろん、完成したわけではなく、今後も検討したり修正したりして何度も何度もつくりなおしていくのだろうけれど、そのプロセスと練習を重ねることがとても楽しい。

やっぱりほんとうにやりがいと生きている実感を感じるのは、こういった取り組み、そして舞台に立つ瞬間だね。
わたしにはこれ以上の生きている喜びを感じていられるときはない。

笑ったのは久しぶりだねえ2010/05/15 23:13:25

午前中から午後にかけて気持ちが憂うつな時間だった。会議があったのがその理由。ま、楽しい会議なんてあるわけがない。

いったん用事のため自宅に戻ってから出直して夜、手話サークルに参加してきた。サークルが終わるまで、ランチをとっていないことに気づかず。それだけ集中していたのだろうね。

ノンアルコールとはいえ、サークル後の交流会でビールをいつものペースより早くのみ、食べ物もまあいくつかは口にした。

午後にあった会議の反動か、サークルの勉強が楽しかった。
日本手話による会話例文を学習した後で、実際に役を分担して会話を交わしてみた。
もともとの例文にない、アドリブの文を入れたり、表現を教わったのとは違う方法でやったりしてみたら、仲間から「おいおい、それはないでしょ」と怒られたけれど笑いもとって、楽しかった。それだけではなく仲間の例文発表も楽しんで読み取り、こころの底から大笑いできた。

いやあ笑ったのは久しぶりだねえ。

たったひとりでもいいじゃないか2010/05/16 22:20:21

松山旅行から帰ってきていつもの礼拝に出席した。

今日は教会の手話教室。職場の仲間たちとの教室で使っているテキストと同じものを使っているが、今日はそれではなく、AVACOというキリスト教視聴覚センターで使っている手話賛美のテキストを使ってみた。

もっと覚えたら「主の祈り」も礼拝中にやってみよう。

たったひとりで礼拝中に手話でやってもいいではないか。

神様がみておられるのだからね。

銀座4丁目といえば2010/05/17 23:08:07

いまはもうほとんどというかまったく見ることのなくなったプロレス中継。深夜に放送されたり格闘技専門のテレビ局が放送するようになってわたしから遠ざかっていった。

わたしが学生のころ、金曜日夜8時といえば「ワールドプロレスリング」。新日本プロレスの中継。日曜日夜8時は全日本プロレス中継があった。

東京に出てきた社会人1年目のころ。めざしたあこがれは銀座4丁目にあるビル。なにがあるというと、屋上にたしか三菱電機の電光広告があったのです。

そう、当時全日本プロレス中継のスポンサーは三菱電機で、番組開始を知らせる映像に4丁目の丸い円筒型のビルが映っていたのです。
そのバックに流れる日本テレビスポーツ中継のオープニング音楽。覚えている人も多いでしょう?

そのビルはいまは「三愛」に変わり、電光広告も変わってしまいました。
ジャイアント馬場さん、ジャンボ鶴田さんがいなくなり、昨年は三澤光晴さんも亡くなられました。ジャイアント馬場さんと激闘をみせたジン・キニスキーさんも先日天に帰られました。
けれどもいまでも銀座4丁目というと全日本プロレス中継を思い出すのです。

わたしがほんとうにやりたいこと2010/05/18 22:41:33

建設中の東京スカイツリー
数日前に撮影した東京スカイツリー。あれよあれよというまに、もう379メートルの高さに。これで完成したらどうなるんだろうねえ。とんでもない高さだ。

話は昨日の夜にあった手話ソングダンスのレッスンにもどる。
ロックミュージックが課題ソングだったため、イメージパフォーマンストレーニングでそれぞれがロックシンガーやバンドメンバーになりきることも挑戦してみた。 ふだんやったことがないものほど、けっこう楽しく演じることができた。

やっぱりほんとうにやりたいことは、人の上に立つとかまとめるとかいったことではないな。全身を使って表現するということ、それにしか興味がない。車の免許だとか車を買うだとかいうことも、話を聞いてふんふんとは思うが、わきでてくるほどの熱い思いをまったく感じない。どんなに説明されても説得されてもだ。

朗読舞台の練習は、肝心の声のご指導が7月から始まるのを待つだけだが、そのときにある程度手話表現ができるようにしておきたい。言い換えれば手話表現が台本を見なくてもすらすらできるようになっておかなければ、また、手話表現をせずとも台本をそらんじて言えるようにならなければ。たまにひとりでついつい、台本を見ずに手を動かしたり暗誦したりしてしまう。

四国は松山旅行で『山路越えて』をたどる旅をしてきた。
以前ここにも書いたけれど、ほんとうの意味で「いのちがけ」ということはどういうことか、を見つめ思う機会でもあった。昨年の『塩狩峠』で感じ見つめたことの続きである。

わたしがほんとうにやりたいこと。全身を使って表現するということ。

今日一日、どれだけいのちをかけて生きてきたか。明日が来れば今日は二度と帰ってこない。だからこそ一生懸命、全力を尽くそう。

未練を断ち切るように2010/05/19 23:33:00

あんまり夜遅くに自炊をするのはよくないのだけれど、帰りが遅かったし、まあいいか。
というわけで明日の弁当と朝の用意をした。

朗読の今日の練習はまず、声も出して手もゆっくりはっきり動かすようにということ。次いでお客さんが見ているのだというイメージを描きながら、見ているお客さんに伝わるように。舞台に立っているつもりで練習をしてみる。

音楽はどうしようか。
今年は久しぶりに、ベートーベンのピアノソナタを使ってみようかと考えている。候補に挙げているのは晩年の作品、作品109、110、111のいずれかひとつだ。

1820年から22年にかけてつくられたこの曲はロマン・ロランに<ブレンターノのソナタ>と呼ばれている。
とくに110番は、献呈者なしで記録されている。ベートーベンの作品中、献呈者なしというのはほかに第8交響曲しかないのだそうだ。作品109は1820年11月にマクシミリアーネ・ブレンターノに献呈され、110と111はともにアントーニア・ブレンターノに献呈されるはずだった。が、110が献呈者なし、111だけがアントーニアとルドルフ大公に献呈されたのだと、ベートーベン研究家の故青木やよひさんは書いておられる(『ベートーヴェン・不滅の恋人』1995、河出文庫。底本は『遥かなる恋人に――ベートーヴェン・愛の軌跡』1991、筑摩書房)。
青木さんによれば、作品110の第3楽章について「この哀切きわまりない≪歎きのアダージョ≫ほど魂をゆさぶられるものを、私はほかに知らない。どのような形容詞をもってしても、その美しさを表現することは不可能だ」「それは、追憶と悲しみと悔悟が入りまじる思いで、力なくうなだれた芸術家の魂からしたたりおちる涙のようだ。だがまもなく思い直し、未練を断ち切ろうとでもするように弔鐘にも似た打鍵を9回くりかえして、この場面を終わらせる」とある。

朗読でわたしはいろいろな思いを込めて演じる。――昨日もちょっとあった。
ベートーベンほどではないにしても、涙を流しつつ、だがまもなく思い直し、未練を断ち切るように立ち上がり、できるなら魂をゆさぶられるものをつくりたいと思う。