松山教会2010/05/09 22:18:58

松山城
四国での初めての礼拝。日本キリスト教団松山教会におうかがいしてきた。

教会に着いて間もなく、受付で封筒をいただいた。開けると松山教会の100年記念誌と礼拝説教全文が入っていた。前もって教会にファクスをお送りしてわたしが難聴であり説教が聞こえないことを伝えてあったので情報保障としてプリントされた説教を読みながら、どうにか礼拝に参加する。

礼拝後に、教会員である妹尾頴一さんというかたに、教会の歴史や『山路越えて』の作者である西村清雄さんの歩みなどをお聞きした。教会に保存されている資料のごく一部には、愛媛県議会に請願書を出したなかに西村さんのお名前をみつけた。もっと古くは1885(明治18)年の教会員の名簿もある。脈々と続く信仰の継承、かかわってきた人々、有名無名の人たちがいていまにつながっていることの深みを思う。

初めて知ったのは、この歌をつくったとき、西村さんは単独で峠を越えたわけではなかったこと。松山女学校で教えていたジャジソンという女性教師を助けるために1891(明治24)年、夜学校をひらいたのが西村さんだったという。ジャジソンさんと西村さんはキリスト教伝道のために松山から宇和島まで、歩いて一泊二日の行程を何度も往復した。1903(明治36)年のそんなある日……。

「帰途、夕日が西に傾くころ、東宇和郡と喜多郡の境にある鳥坂峠にさしかかった。松風をききながら、一歩一歩踏みしめて峠を登ると、神の国に近づくような感じであった。その気持ちを詩に詠み、好きなゴールデンヒルの曲に合わせて口ずさんだ」(近代史文庫 編 『郷土に生きた人びと―愛媛県―』から、「山路越えて―西村清雄―」 妹尾頴一著、静山社)。

さて教会を辞していったんホテルに戻り荷物を預けて、カメラをもって松山城とリフトを訪れた。
駆け足だったし帰りの便の時間が迫っていたのでゆっくり見て回る時間がなかったのが残念だったけれども、リフトでは『坂の上の雲』など司馬遼太郎さん、夏目漱石、『坊っちゃん』に代表される明治のかおりを思わせる、はかま姿の女性ガイド。また蒸気機関車をイメージした路面電車にも乗ることができ、遠いはるかな昔に思いをはせたひととき。

初めての四国の旅はとても楽しく、充実したものだった。

いつかまた訪れたい地に加わったのはいうまでもない。

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