ベートーベンと恋、「不滅の恋人」2009/12/16 23:45:11

少し古い話で恐縮だが、先月、ある著名な方の訃報(ふほう)があった。

青木やよひさん。本名・北沢弥生さん。2009年11月25日、大腸がんのため亡くなられた。82歳だったという。

もちろん一面識もない方なのだけれど、ベートーベンにひかれるようになってしばらくして、青木さんが書いてきた、ある問題をテーマにした本を読み続けたことがある。それは、1827年3月26日のベートーベン死去後に、2枚の細密画と銀行株券、そして4つ折りの手紙が出てきた。のちに、「不滅の恋人」と呼ばれる論争になった、この手紙は、いったい誰に宛てて、いつ書かれたのかという内容だった。

ロマン・ロランなど多くの作家や解説者などが取り組んできたとともに青木さんが女性学などのほかに、長年ベートーベンについて著書をあらわしまた実際にベートーベンがたどったのと同じ、ウィーンからテブリッツへいたるルートを訪れ、この「不滅の恋人」問題について、青木さんが出した結論は、1812年、ベートーベンの知人である、アントーニア・ブレンターノ(1780年5月28日~1869年5月12日)に宛てて書かれた手紙だという。

この問題はいまもなお論争が続いているのだそうだが、それはさておき、ベートーベンはどういう人だったのだろう、と、彼の曲を聞きながらいつも思う。
小学校のころ音楽室で見た、あの意志の強そうな顔だったのだろうか。また、別の絵画でもみる、後ろに手を組んで歩く姿(実際、彼はウィーンなどで自然の中を歩く姿をスケッチされている)も印象に残る。

「楽聖」と評され神格化されるほどの存在であり、一方で50歳を過ぎても独身のまま、恋をしこそすれ、結局結ばれることもなく、さらには難聴という苦しみと、おいや2人の実弟との確執など、孤独な生涯。それが一般の人が抱くベートーベンだろうか。

けれど青木さんが訳された、3通の「不滅の恋人」にあてた手紙を読むと、単なる女好きなどというものではなく、しっかり分別をわきまえた人間ベートーベン、男性として、だからこそ女性への思いやりをこめた文章だとわかる。俗っぽい言い方でいうところの「女好き」ではない、凛とした人物ではなかったかと思う。

なるほど、そういう視点で見れば、また彼の音楽も深い理解と感動をもって聞くことができるだろう。
『第9』しかり、『エリーゼのために』しかり、『月光ソナタ』しかり。曲すべてではないけれど、ベートーベンとはどういう人物だったか、なにかがつかめるかもしれない。