聖者の街の11連勝2009/12/01 23:50:43

ニューオーリンズ・セインツ ヘルメット、ジャージ
NFLも第12週にはいった。各チームそれぞれ1週の休みがあるから、シーズン17週といっても残すところあと5試合しかない。

今日はルイジアナ州ニューオーリンズのスーパードームで、マンデーナイトフットボール、New England Patriots対New Orleans Saints戦があった。
これまでセインツは負けなしの10戦全勝。シーズン勝ち越しは3年ぶりである。

写真は15年ほど前にニューオーリンズを訪れてセインツのオフィシャルショップで購入した、セインツのグッズ。ジャケット、ヘルメット(試合で選手が使うのと同じ実物とミニヘルメット、ジャージ、ジャケット)。
今年2月のスーパーボウルに出場したArizona Cardinalsは弱小チームとして知られていたけれど、New Orleans Saintsも弱かった。チームが誕生したのは1966年11月1日、チーム名は「All Saints Day」(万聖節)からきている。1987年シーズンまで勝ち越しをしたことがなく、ある時期にはニューオーリンズのファンは紙袋に目、鼻、口の部分に穴をあけて「恥ずかしい」とチームの弱さを表したほど。だが1991年シーズンに初めて地区優勝を決めた。それ以来の快進撃といってもいいだろう。

南部のルイジアナ州最大の都市であるニューオーリンズの地名の由来がフランスと関係あるということは、アメリカ史を少しでも知っている人ならすぐにピンとくるだろう。ルイジアナの由来はルイ14世からきている。ニューオーリンズはルイ15世の摂政、オルレアン公フィリップ2世にちなむ「ヌーベル・オルレアン」、「新しいオルレアン」という意味だ。そしてルイジアナ州はいまでも英語とフランス語を公用語としている。
――という歴史から、セインツのヘルメットのロゴマークは、フルールドリス、フランス語でいう「ユリ」の花が描かれている。

さて、試合のほうは……。
なんとTDを5つも奪ったセインツが圧倒的な攻撃を見せて、38-17でニューイングランド・ペイトリオッツを下した。記録は単なる1勝だけれど、強豪に勝ったのはスーパーボウルへ向けて大きな自信になるに違いない。

ルイジアナ州ニューオーリンズを訪れたのは、身体障がいのある、セインツでプレーした元プロフットボール選手を取材するためだったが、とても得難い体験だったことを今でも覚えている。そして今回の会場、スーパードームの中にも一度だけ入ったことがある。このことについてはあらためていつか書きたいと思う。
いまはただ、セインツのスーパーボウル出場を期待して、いったんこの記事を終えることにしたい。

不思議な夢2009/12/02 07:55:55

昨日朝、不思議な夢を見た。ちょっとこわい、ある意味では不謹慎な夢でもある。もしこれを読んで不愉快な思いをされたなら、どうかおゆるしください。

――わたしはどこかわからないけれど、真っ暗な部屋の中。ガラス越しに面会に来てくれる人と会うことができた。だがわたしにはどうやら、再びここから出られる可能性はない。つまりいつかはいのちを召されていく、というのだ。
面会の人と会って、話をしたところで目が覚めた。

誰しも、いつかはこの世を去っていく。誰もがいつかは死ななければならないということだ。
そして夢の中で面会に来てくれたのは、わたしにとって大切な人なのだ。どんなことがあっても失いたくないと思える大切な人。

目が覚めてから夢についてあれこれ考えている。
誰も自分の人生が残りどれくらいなのか分からない。それを知っているのは神さまだけであると聖書は語る。
死と生を考えていくと、いまのわたしをみつめて、もし本当にわたしの人生がこれからさき、長くないとしたらどうするだろうか。あと40年? 10年? 5年? 3年? 1年? 半年?
……とするなら、もし明日でわたしの人生が終わるとしたら、わたしは何ができるだろう。わたしにとって大切な人がいる。その人に二度と会えない、話ができなくなるとしたら、その最後の瞬間まで、わたしは何を残せるだろうか、と。それに値するだけの緊張感をもって日々を送っているだろうか、と。

昨日、手話教室があった。
まだまだだなあとあらためて思う。と同時に、本気で取り組みたいと強く思う。
わたしにとって大切な人に、みてもらいたい。見てほしいとアピールするのではなく、その人にわたしを信じてもらえるように、努力を続けること。変わったねと認めてもらえるようになること。

もし明日でわたしがいなくなるとしたら。
本気で大切な人のために、いのちをかけてでもなにかを伝えたい。
その「なにか」は、やはりわたしにとっては手話であり朗読であり、コミュニケーションであり、一方的にわたしが話すのではなく、大切な人の話を聞き、受け入れていくことであり、本気でその人を愛しているからこそ、いつ神さまに召されるかもしれない、召されてもいいという緊張感をもって、日々をわたしの人生のすべてをかけて生きてきた、ということを伝えたい。

本気で、神さまのために、大切な人のために、生きていきたい。手話も朗読も。

カキカレー2009/12/02 23:45:44

「朗読のレッスン」でご一緒させていただいている方と、都内は銀座でお会いした。

ランチをともにしたのだが、メニューはカキフライと黒カレー。

濃い黒色のルーとカキがうまくからみあっておいしい。辛さが足りないように感じるけれどおいしい。

一度おためしにいかが?

 「楸」銀座店

 東京都中央区銀座6-12-16
     片桐ビルⅡ  2F  Tel 03-3289-1390
     http://www.kaki-hisagi.com

チャレンジ2009/12/03 23:03:27

昔いた職場で、ずっと気になっていたことがある。「しょうがい」という漢字の表記だ。
一度文にしたことがある。「わたしたちは『害』ではない」と。ここの記事はもとより、プライベートでも公でもわたしはできるかぎり「障害」とは書かず、「障がい」「障碍」と書いている。

たしかに常用漢字表では「害」とあり、一般的には「しょうがい」というのは「障害」と書く。戦前から障害も障碍も、「妨げ」の意味で使われていた。だがわたしたちが「害」に強い抵抗を感じるのは、「災い」、害悪といったネガティブ、マイナス、否定的なイメージがあるからだ。
わたしの両親も、わたしが耳の不自由な子だとわかってから、言葉を教えてくれた。それはいまになっても朗読などにつながっていることを思うとき、こころから深く感謝している。けれど、成長して耳が聞こえなくなって、補聴器を使うことをすすめられた時も、障がい者手帳を取得するときも、はじめはあまりいい顔をしなかった。なぜなら障がい者ということで引け目やいじめを危ぐしたからだと、あとできいた。わたしの両親が障がい者に対して否定的だとは思わないが、しかし「害」という字に、どれだけ傷ついたかと思う。

1946年に当用漢字表ができ、81年に常用漢字表が目安とされたのちも、一度として「碍」の字は採用されていない。碍子と融通無碍くらいしか使われないからだという。

けれど時代が変わり、自治体では「障がい」と表記するところが増えてきたし、わたしたち当事者も「障がい」と自らを表すようになった。

今日の新聞に、「アメリカでは障がい者をチャレンジド(Challenged)」と呼ぶことがある、という一文があった。
つまり、聞こえなくても、それが害ではない。妨げでもない。挑戦すべき試練を神から与えられた人、という意味だと。

とても強く勇気づけられる。
日本手話や朗読付き手話舞台に挑戦したい。いろいろ欠点があり、直すべき課題があるということは、乗り越えられる可能性があるという意味なのだ。そう前向きにとらえたい。

障がい者を「挑戦者」としても一般にはピンと来ないかもしれない。
けれど、はっきりさせておきたいのは、わたしたちは否定的な存在でも迷惑な存在でもないということ。まして害でもない。
自分の道は自分で切り開いていく。いろいろな有形無形の支えや指導をいただくとしても、なにかを人に押しつけられたり命じられたりすることでもない。そのための挑戦することが与えられている存在なのだ。

明日からまた、何度でも挑戦していく歩みを続ける。

いびつなこの国の姿2009/12/04 22:34:58

いまNHKで放送されている「日本のこれから 自殺3万人をどう減らす」を見ている。といっても残念ながら字幕放送ではない。テロップを見たりして大まかな内容をつかんでいるだけ。

今日仕事のあとで、新宿へ買い物に行ってきた。
途中、地下街で宝くじの売り場を何カ所も見た。そのいっぽうで、この国の首相と一族が絡む偽装献金事件が話題になっている。聞くところによれば9億円だの11億円だのという金額があるらしい。
サラリーマンの生涯賃金が1億円と言われたのはいつのころだろう。その何倍もの収入を得ているなんて。

自殺といっても経済や生活苦だけではなく、多岐にわたる。
しかしどうあれ、東京ドーム一つ分まるまる、いのちが自らこの世を去っていくというありさまはけっしてあるべき姿ではない。

宝くじ、偽装献金、そして自殺者3万人。
なんといびつな、この国の姿だろう。

自分の行動とそれを選択するかしないかだけだ2009/12/05 23:53:54

忙しいせいもあるし、見たい番組がないということもあるし、とにかくテレビをあまり見ない。
そのかわり新聞や活字は読むのも書くのも好きなほうだ。

今日、とても心にしみたのは「行動を選択した時、結果も選んでいる」という見出しだ。

この記事にはこういう文が出てくる。

「わたしたちは望む結果を目標とし、自分に対して言葉に表して明示することが大切になります。なぜなら、そうすることで、自分が無意識に、その結果の方向へ向かって行動するようになるからです」

朗読は年内の活動が今日で終わり、新年から始まる教室の申し込みをすませてきた。また、来週以降も日本手話のご指導をいただく予定になっているだけではなく、いろいろ予定がある。
正直、はたしてどうなるか実現するかという不安や迷いや、いろいろあるけれども、まずその結果の方向へ向かって歩きだしていくしかないのではないか。
周りがどういうかは自分ではコントロールできない。コントロールできるのは、自分の行動とそれを選択するかしないかだけだから。

やってみると楽しい2009/12/06 21:43:34

料理本テキスト
週末に厨房に立つことをはじめて3回目。今日は豚肉とキャベツのみそピリ辛炒め。豚肉をしょうゆと酒で味付けして、豆板醤、キャベツと長ネギとともに炒めたものだ。で、お昼は全く何も食べていないのだけれど、今晩の食事でおなかはいっぱい。明日朝まで本当に何も食べたくないねえ。

味はともかく、やってみると楽しい。
週末限定だからごはんの量など多くは炊けない。平日は帰りが遅くなるから。とはいえ、いろいろ覚えてみるとやりがいを感じる。

このさきどうなるかはさておき、自分が変わるきっかけになればと思う。
自分が変われば周囲も変わるからね。

負け越しを免れる……かな?2009/12/07 23:00:26

久々に朝から気持ちいいニュースが飛び込んできた。
NFL第13週、Oakland RaidersがPittsburgh Steelersのホーム、ピッツバーグのハインツ・フィールドへ遠征したゲームは、10-6でPittsburghがリードのまま迎えた、第4クオーター残り8分12秒にOaklandがパスでタッチダウンをあげ、そのあとPittsburghがランでタッチダウンをあげて再逆転。残り5分28秒にまたOaklandがタッチダウンパスを奪いひっくりかえす。Pittsburghはランプレーでタッチダウンをあげるも、鉄壁の守備がOaklandのパスオフェンスに浮き足立ち、試合終了前残り9秒にまたもタッチダウンパスをあげたOaklandが、24-27で勝った。これでフィラデルフィア、シンシナティと今シーズンの強豪相手に勝利を収めたことになる。シーズン成績は4勝8敗となり、残り4試合に勝てば8勝8敗の勝率5割。5勝11敗(2004)4勝12敗(05)2勝14敗(06)4勝12敗(07)5勝11敗(08)と、目も当てられない成績だったことを思えば、まあましか。
次週は13日、ホームでWashington Redskinsと対戦する。

ようやく「試合らしくなる」チームになったというべきか。
もっと早くにQBをBruce Gradkowskiに代えていればよかったかもしれない。2006年にTampa Bay Buccaneersでトレド大からNFL入りした、NFL歴4年目は、来年はスタートQB候補にあげられるだろう。とはいえチームの状況によっては来年春のドラフトでQBを指名するかもしれない。

ちょっと疲れてしまった。2009/12/08 23:36:44

ランチはおにぎり2個でもういっぱい。夜は夜でカレーを外食で。

食べられたけれど、おなかが張って、もういっぱいという感じ。

少し楽になった2009/12/09 23:06:51

からだの状態は少しだけ、楽になった。のんでいた薬の効目がありすぎてしまったからだ。今日はいくぶん落ち着いて、いくらか楽になったというわけ。

それにしてもだ。
今日のある新聞の夕刊1面で「3万人の命に」と題した、自殺とその家族らをテーマにした連載が始まったというのに、都内の地下鉄で3つも人身事故があった。わたしがいつも利用している京成線は都営浅草線に乗り入れているが、その京成線の、わたしの自宅から近い駅でも事故があった。

今日の手話教室はほんとうに楽しく得難いものだった。
どんな内容だったかはあとに機会を譲るとして、本気で生きていかなければとあらためて思う。どんなに苦しいことつらいことがあっても、生きたい、生きていくのだ。わたしには夢と希望がある、という強い意志をもっていこう。
手話も同じように、ある意味緊張感をもって表すようにしたい。ゆるんだりたるんだりしていると手話がおろそかになったりあいまいになったりしてしまう。そうならないために、絶えず緊張感というか凛とした気持ちで手を動かしたい。うまくなりたいからこそ、凛とした緊張感をもって。

今日はわたしの人生の終わりの始まりである。
明日がくれば、今日は二度と帰ってこない。だから今日という日を忘れないために、何をして何をしなかったか、つねに意識していきたい。

後悔のないように、いつでも納得できるように。
また明日から、気を引き締め直したい。