男性も手話を学んでみたら?2009/11/26 22:33:22

事故で手話不自由、後遺症を「言語障害」と認定
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091125-OYT1T00911.htm?from=top

裁判内容は、かいつまんでいうと、こういうことだ。

交通事故の後遺症で手話を使っている手が動かしづらくなったのは、聞こえる人の言語障がいにあたる、として損害賠償を訴えていた、聴覚障がいのある主婦に対して、後遺症を「言語障がい」と認定したというのだ。

別の新聞の今日の朝刊でも取り上げられた、この裁判の記事は、昨日の日本手話勉強会の前に、手話を教えてくださる手話通訳士の方にお話しした。

おととい江戸川区船堀で見た映画『ゆずり葉』でこんなセリフが出てくる。
――昔は手話を使って話そうとすると定規で手を厳しくたたかれたものだ。

……つまり、学校では手話を使うことを禁止していたのである。

隔世の感があるといえるだけではなく、手話は聴覚障がい者にとっての言語だと裁判所が認めたわけでもある。この裁判をわたしは、もろ手を挙げて喜ぶ。損害賠償額はさておき、手話は聞こえない人にとって大切な言語なのだ、と声を大にして強調したい。

だが、まだまだ手話のできるきこえる人が少ないという現状をもう一度考えてみる必要がある。手話通訳士や手話を学んでいる人は圧倒的に女性が多い。男性もいるけれど、彼ら手話通訳士が、職業として確立されているかといえば、まだまだであるというのが現状だ。有名な手話通訳士なら手話のテキスト本を出したりテレビに出演したり芸能人に手話を教えたりしているけれど、多くの人たちは職業としてみると経済的保障が足りない。だからなり手に男性が少ない。

余談だが、ろう者の男性と手話のできるきこえる女性が結婚するケースが多い一方、逆のケースはまれだそうだ。聞こえない女性は同じ聞こえない男性と結婚するとも。なぜだろう。やはり手話のできる聞こえる男性が少ないからだ。

小学校から手話や点字を教えるプログラムがあると、それだけでもあとあと、男性女性ともに、社会に出てからでも手話や点字だけではなく、福祉に対する理解が広がるはずだ。
先日ここで書いた関西学院大学の試みは、ほんとうに画期的なもので、さらなる取り組みを期待している。

わたしは手話と出合って、かなり気持ちを楽に、人生を豊かに楽しめるようになったと確信している。同じ喜びを多くのろう者、中途難聴者と分かち合いたいし、聞こえる人たちにも知ってほしいと思う。