経験上の知恵2009/11/01 17:05:07

そんなこんなで迎えたけさは、いくぶんからだの調子も戻った。
人数が多くて聖さん式のときにぶどう酒が来たけれどパンが来ず。……あらら。礼拝後、集まりがあったけれど、内輪の会になりそうなのと楽しめないだろうからと、さっさと帰ることにした。

やっぱりあるのかねえ。「厄年」。
わたしはクリスチャンとしてそういうのをからきし信じていない。ついでに書くと、生年月日も西暦で表記するし、元号は使わない。ま、この国では少数者なのだろうが、ふと思う。厄年は、絶対とは言わないまでもある程度信じてもいいのかもしれない。

40歳を過ぎてだんだん責任も伴うようになってきた。人生経験を重ねてきた一方で、若いときのようになんでもかんでも無理むちゃが許されるものでもない。
からだもしかりで、なかなか疲れが抜けなくなってきた。

「厄年」は非合理的だと思っているけれども、寿命がいまほど長くなかった昔の人たちは、からだの衰えを直視しつつ、いかに乗り越えていくかの経験上の知恵としてつくっていったのかもしれないね。

KGのすばらしい取り組みに喝采をおくる2009/11/02 07:45:35

手話は言語 ~関西学院大学の試み~
http://www.nhk.or.jp/fukushi/chokaku/911.html(再放送あり)

KG、関西学院大学。以前もここに書いたと思うけれど、アメリカンフットボールの名門強豪校であり、キリスト教主義大学としての歴史も業績も知名度も高い。今夏の高校野球選手権大会には系列の男子高校が出場した。
だが今日は、フットボールではない。

アメリカではスーパーボウルやワールドシリーズの国歌斉唱などでも合唱団やシンガーのそばで手話通訳がつく。先月の2016年夏季オリンピックの開催地決定が決まったときも、シカゴでは市内につくられた広場であたりまえに手話通訳がついていた。そう、アメリカでは手話はもはや特別な存在ではないのである。国連の障がい者権利条約でも「手話は聴覚障がい者の言語である」とうたっている。

ところがだ。
日本ではまだまだ手話は認められていない。だが関西学院大学人間福祉学部では去年から「日本手話」を第2外国語科目とした。
これまで多くのろう者が「手話を言語として認めてほしい」と訴え運動してきた。しかしろう学校以外の学校ではなかなか手話を教えるプログラムが存在しなかった。そもそもがろう学校でさえ手話を使うことを禁じていたのである。なぜなら社会に出るときに聞こえる人と伍していくためには、口話が大事だと考えていたから、手話はじゃまであるというわけである。それが聞こえない人への抑圧であり、聴覚障害を軽いものとして考え、差別にもつながっていった。けっして聴覚障害は軽いものなんかではない。よく、聞こえればいいではないかというが、そんな単純なものでない。

関西学院大学はろう学校ではない。聞こえる学生が多いのだ。そこでろう者の使う言語を学ぶとはどういう意味があるのだろうか。手話を英語やフランス語やロシア語など、外国語と同じく言語として認めているということではないか。教える先生の中にはろう者もいるという。同大学には神学部がある。牧師になりたいという学生が手話を学んだら、説教を手話で語ろうという人も現れるかもしれない。商学部だったら聴覚障害者への理解をもったビジネスモデルをつくろうとするかもしれない。関西学院大学の大きな取り組みに、喝采をおくりたい。

人間福祉学部内では日本手話について理解があったものの学内全体ではまだまだ慎重な意見もあったそうだ。文部省にも確認をとったともいう。そのうえで始めた、日本手話を教えるという、全国初の取り組み。
これがきっかけになってろう者や中途難聴者・失聴者の言語である手話への認知理解、さらなる手話の普及が深まればと思う。

真冬のような2009/11/03 22:39:14

朝窓ガラスに目をやると、霜がついていた。まるで真冬に突入したかのようである。が、寒さは大したことはなく、今年も恒例の教会バザーに参加してきた。

新しい牧師に代わって最初の教会バザー。所用を済ませてから会場に入ったが、例年どおり多くのお客さんが来てくださった。
地域の障がい者がつくったクッキーを10パックほどいただいて帰ってきた。

夜は難聴者仲間の男性と居酒屋でわいわい。談議に興じる。

夕焼けの向こうにみえた富士山、建設中の新しい東京タワーなどを見ながら、早くも11月に入ったことを実感したのだった。

説明することとイメージすること2009/11/04 22:09:37

日本手話を学んでまだ一カ月もたっていない。が、学ぶたびに新鮮な発見と難しさを感じる。難しいのは当然だけれど、逆にいえばわたしたちが知らなかった世界だということでもある。

たとえば朗読のあの原稿を思い出す。

デッキに飛びつく、ハンドブレーキを回す。指文字でいちいち「デッキ」「ハンドブレーキ」とやっては伝わらない。ハンドブレーキではなくブレーキ、車のブレーキを押すように手で上下から押しつぶす。デッキも、手すりをイメージして、手すりに囲まれているような表現。

そう、手話は視覚言語なのだ、ということに戻らなければならない。
今日、少し手話がわかる、同じフロアの人と立ち話をした。
わたしたち中途難聴者は、また聞こえる人は、文章の読み書きがあり、文章で表現できる。だからつい、説明しようとしてしまう。けれどろう者には手話で説明するのではなく、伝えたいことをイメージでつかむほうがずっと早い。逆に言ってしまうと速く伝えるには「説明する」手話は不適合なのだ。

生まれた時から耳が聞こえません
→「~から」という手話表現はあるが、ろう者にはパッと見ていつの時点からなのかわからない。だから「~から」の代わりに「大きくなるまで」「成長するまで」という表現を使う。

なるほど。このほうがずっと伝わりが速い。

まだまだ日本手話の学びは続く。
もっともっと豊かなコミュニケーションができるようになるために。

はかり知れない重圧を超えて2009/11/05 23:03:05

MVPを伝える各紙
今日は日米の野球史に記録される日だ。
現地時間で4日、第105回ワールドシリーズ第6戦があり、アメリカンリーグチャンピオン、New York YANKEES対ナショナルリーグチャンピオン、Philadelphia PHILLIES戦で、松井秀喜が2回の先制2点本塁打、3、5回にも2点適時打を打ち、1試合6打点のワールドシリーズタイ記録を達成。試合は7-3でニューヨークが27度目のワールドチャンピオンに。さらに松井は日本人メジャーリーガー初のMVP(最優秀選手)に選ばれた。

2003年にYANKEESに入団、度重なるけがや打撃不振などで「どんなに活躍しても今年が最後」と、一時は放出されるだろうという報道まで出ていた今シーズン。それをうけて日本のプロ野球チームが獲得するといううわさもあったけれど、レギュラーシーズン終盤には打撃成績が上がり、プレーオフ、リーグチャンピオンシップを経てワールドシリーズにも出場した。

なによりけがや放出の危機を乗り越えたことがすばらしい。
精神力も強いのだろうね。YANKEESは伝統ある球団だけに、ちょっとでも成績が悪ければマスコミにたたかれる。フットボールもそうだが、ニューヨークでプレーするというのはものすごくプレッシャーが大きい。そんななかでこんな成績を残すなんて、ものすごいことだ。
まだ契約更新のニュースがないけれど、こんな活躍をした選手を放出するなんて、ファンが許さないだろう。とはいえ、これを書いている時点では、YANKEESのキャッシュマンGMは、松井と再契約するかときかれて、再契約を明言していない。

正直言うとYANKEESはあまり好きなチームではない。実際、ヤンキースタジアムを訪れたのは一度だけ。同じニューヨークを本拠にするMETSは3回ほど見たけれど。
けれど、今日ばかりはピンストライプに感動したね。

松井選手、こころからおめでとう。

友、遠方より来る2009/11/06 08:13:01

古くからの友人とそろって食事に。楽しかったのはいうまでもない。

あっというまの1時間。

ぴったり合ったノンアルコールビール2009/11/07 18:57:39

ノンアルコールビール「キリン フリー」
昨日つきあいで飲んだノンアルコールビール、「キリン フリー」。味はサイダーを甘くしたような感じだ。ビールを飲むと出る苦みがない。ま、アルコールがあって苦みがあるからおいしいビールなのだけれど。まったくお酒が飲めないわたしに、このノンアルコールビールはぴったり合った。アレルギーもないし。小びん一本まるまる平気で飲めたのだから。

本気で いのちをかけて2009/11/08 00:50:23

昨日は今年最後の朗読クラスのレッスン日。12月最初の土曜日にある、ミニ発表会に向けた合同レッスンでもあった。
始まる前に、講師の先生に立ち話であったが、今秋の舞台の前に少しご相談した「聞こえる人も聞こえない人も楽しめる朗読舞台」についてあらためて、本当にやるかやらないか、考えたい、とお話をした。
そのあとで講師からわたしたち受講生へ、「彼(わたし)がいつか舞台をぜひやりたいと思っているのだけれど、みなさんどうですか? やるならいろんなところにご相談しなければならないし、たいへんだけれど」と話してくださったところ、10名ほど、賛成の手を挙げてくださった。

実現できるかどうか、とても自信がない。
けれど4年間の舞台、うち手話つき朗読を3年やってきて、本当に、聞こえる人にも聞こえない人にも、手話の分かる人にも分からない人にも、朗読という表現の世界を、表現を楽しんでほしいと思う。舞台上で表現することが本当に好きだ。わたしを見て、ではなく表現することが好きだ。だから多くの人に楽しんでほしい。

今秋の舞台に来てもらえなかった、わたしにとって大事な人にも、また多くの仲間にも、来てほしい。
いま続けている日本手話の学びも、自分のコミュニケーションはもちろん、手話と朗読の表現力の向上のためでもある。

神さまのために、愛したい大事な人のために、聞こえない仲間のために、いのちがけで、本気でやりたい。本気でいのちをかけて神さまの栄光が現れるように。明日わたしのいのちがなくなったとしても、舞台が終わってすぐに、神さまにいのちを召されたとしても、そうなるに値するだけの価値がある、といえるように。
わたしにとって、どんな高級なものより、生きている意味、これ以上の価値のあるものはない。

祈り続けたい。

ようやく整理を終えた2009/11/08 18:29:39

昨年のトロント・オークランドの試合観戦で、大量に撮影した、計500枚以上あるかな、写真をようやくアルバムに収めることができた。

せっかくだからと、試合前に購入したゲームプログラムをカラーコピーで40%縮小、ラミネートを上からかけてアルバム表紙にはりつけた。

1年かかって終えたのはともかく、こういう楽しみはいくつあっても足りないし、飽きないね。

またいつか試合観戦で訪れたら写真を撮影してアルバムに入れたい。
もう二度と負け試合は見たくないね。はっきり言うけど。

夕暮れに2009/11/09 23:42:43

新聞を読むと、疲れるようでいて実は有意義なものと出合うことがある。毎日のニュースが殺人だの強盗だのと、殺ばつとしたものばかりの昨今だけに、ホッとする記事と出合うと、まるで奥深い知恵の森の中を歩いているような気持ちになるのだ。

今日の夕刊。
「人生の目的意識と死亡率」という医学記事に目を奪われた。

これによると、「心身医学」という雑誌だろうか、この6月号に「人生に対する目的意識の高い高齢者の方が長生きするのだという研究報告があった。
アメリカの地域在住高齢者1238人(平均年齢78歳)を最長5年間追跡したのだそうだ。
①わたしは人生に方向性と目的の感覚を持っている②わたしは将来の計画を立て、それを実現させるために働くことを楽しむ③人生を目的なしにさまよう人もいるが、わたしはそうした人々の一人ではない④わたしは人生でなすべきことをすべて行ったように感じることがある

この5つの問いに5段階の選択肢から1つ選び、合計点を質問数(10)で割って一人ずつ平均点を出す。対象者全体の平均点が3・7点だった。
人生の目的意識に関する5点満点の点数が下位10%(3・1点)の人と比べて上位10%(4・2点)の人は死亡率が43%も低かった、という。

どんな逆境下でも人生を意味のあるものとすることができる。人生に対する目的意識を持つことが心理的健康を維持するうえで重要だ、と結論付けている。

さて、実は今日はわたしの誕生日だった。もううれしくもないけれどねえ。

この記事から、感じることが多い。
孤独であったりコミュニケーションがなかったりする人は、なかなか自分の人生への目的意識どころか、楽しむことさえ避けてしまうのかもしれない。
人生途上で聞こえなくなった高齢難聴者にとって、孤独ほど苦痛なものはない。
だれもがいずれいつかは年老いていく。からだの機能が衰えていっても、手話もそうだが、なお希望を持って生きていらっしゃる方から多くを学ばされる。わたしが通っている手話サークルにもそういう方が多い。
高齢化がますます進むからこそ、ご高齢の方々の思いに耳を傾けていきたい、そう思ったわたしの誕生日である。