いい意味での「無関心」2009/10/15 23:23:49

卓球練習を終えて自宅へ帰る途中の地下鉄車内。

自宅最寄りの駅の2つ手前に着いたとき、車内が少しざわついた。
横を見ると、真っ黒なレトリーバー種の犬が一匹と、見知らぬ男性が2人。ひとりは白い杖をついていた。そう、盲導犬である。

ざわつきが落ち着くまで、わたしの隣に立っていたご年配の女性と、前に座っていた若い女性が驚いて犬のほうを見ていたけれど、ほかの乗客は驚きもしないし騒ぐこともしない。
いい意味での「無関心さ」が車内の空気にあったような気がする。

わたしの大学時代、社会福祉系サークルのメンバーだったのだが、先輩から聞かされた話で、地下鉄に乗り込んできた視覚障がい者と盲導犬を見て、年配らしき女性が怒りにまかせて「なんでこんなところに犬がいるのよ!」と騒ぎ、盲導犬のしっぽをふんでけがを負わせたということだった。

それからン何十年が過ぎて、一応は盲導犬や聴導犬など、介護犬に対する理解が広がり法律でも認められるようになった。が、まだまだ実際は社会的認知にはほど遠く、たとえばレストランに入るにも断られたという話は枚挙にいとまがない。

恥を覚悟で書くのだけれど、わたしも車内で難聴者やろう者と話をするとき――当然手話だけれど――普通に話すことができるために、声を出すとき、知らず知らずに声量が大きくなっているらしい。中途難聴者の場合は聞こえの程度も、声を出して話せるかどうかもまちまち。声を出さないと不安になってしまうというケースもある。
そのため、どうしても声が大きくなりがちだ。ましてエンジンやモーター音などの騒音がある車内では、もっと声が大きくなってしまう。
だからわたしもつい、声が大きいと怒られたりにらまれたりすることはしょっちゅうだ。
まあ、手話で話をするわたしたちは、手話を知らない人からすれば不思議なものに見えるだろう。
けれど、わたしたちも普通の人間。怒りもするし笑いもあるし恋もすれば悩みだってふつうにある。
いい意味での「無関心」をもってかかわってくれたら、うれしい。

思い出した。
以前ここに書いた、盲導犬を育てる訓練士をテーマにした「ナオゴーストレート」というマンガ。今月には単行本の1巻目が出るそうだ。
興味を抱かれた人は、お読みになってはいかがだろうか。

来週は会社内で始める最初の手話教室の予定。