常に変わらず もたせたまえ2009/10/04 17:57:03

昨日は夜に、手話サークルがあり、そのまえのお昼過ぎからは今年最後の朗読のレッスンの開講日であった。

朗読では、先日の舞台について各人の感想を求められるかと思ったけれど、なにもなかった。だが夜にあった手話サークルでは、『塩狩峠』の取り組みについて、舞台を見に来てくださったサークル員からご質問をいただいた。

2010年9月25日と決まった次回の舞台も含めて、わたしはいままで以上に本気で、手話と朗読と手話ソングという「表現者」「表現活動」に力を尽くしていきたいと思う。この世の中にはいろいろあるだろうけれどわたしのこころをひくものは、過去もいまもこれからも、これ以上のものはないと言い切っていい。どんなにたくさんの財産があろうがどんなに美しいものがあろうが、聞こえないけれど普通に話せる、聞こえないけれどからだを使って表現することができる、という神さまからのプレゼントにまさるものはない。

『塩狩峠』をへて、あらためてヨハネ福音書12章24節の「一粒の麦」のたとえを思う。そのとおりに生きられるかはさておき、わたしも何かを遺したといえる人生を生きたい。自分のためではなく神さまに、みんなに、大切な人に喜んでもらえるような人生を。

サークルの先生にお話ししたことだけれど、なんらかのかたちで日本手話も覚えたい、単語や表現の幅を広げたいとご相談した。
信じてください、変わりましたよ、というのではなく、自分が変わり続けていくことしかない。それが信じてもらえることにつながる。いつ信じてもらえるかはわからないけれど。かならずその時は来る。

賛美歌「主よ 終わりまで」の歌詞にこうある。
「常に変わらず もたせたまえ」。聖書を読み、祈り、学びを続ける。
自分のためではなく神さまに、みんなに、大切な人のために。
いつ来るかではなく、いつかはかならず来る「みもとへ行く」その日まで。