誰もいなくても、神は見ておられる。2009/10/01 21:53:59

空を飛ぶ鳥
仕事の合間に、社内のごく数少ない、手話に関心を抱いているという方から「手話勉強会」の立ち上げについてご相談と問い合わせをいただいた。

わたしの朗読舞台の2週間前ほどに、手話に関心を抱いているというその社員と知りあい、手話を学ぶ勉強会を立ち上げたいという話がおきた。
といってもわたしも、人さまに教えるなどというほどの技術があるわけではない。けれどもなんらかのかたちで、この7年間ほど続けてきたなかで得たものを分かち合い、少しでも聴こえない人と聴こえる人とのあいだの架け橋になれるなら、聴こえる人に、聴こえない人の思いや苦しみを押しつけることなく、お互いをわかりあえることにつながるなら、と思う。
まずはゆっくり基礎から始めて、徐々に育てていきたいと思う。いくらわたしが手話ソングや手話つき朗読をやっているからといって、そんな難しいものをいきなりやろうとはまったく思っていない。そんなことをしたらかえって飽きがきて継続できるものもできなくなってしまう。手話は遊びではなく、あくまでも基本はコミュニケーションである。だからこそ、手話に興味を抱いてくださった方の気持ちを損なうことなく大切に、ゆっくり長く続けていきたい。

夜から卓球の練習。メンバーに用事ができて、わたしだけの練習だった。
そんなことはいっこうに気にならない。
たっぷりある2時間、150個ほどのボール全部を使って、2本あるラケットを1時間ごとに取り換えた。フォアハンド、バックハンド。試合だと思って丁寧に、しっかり打つこと。誰も見ていなくても、神さまのために、大切な人のために、最後に、自分の人生が終わりだとしても後悔のないように。その思いをこめて練習を続けた。

今日から10月。
あらためて『塩狩峠』の朗読台本をこころに刻む。
神さまのために、大切な人のために、生きていきたい。生まれ変わって新しい思いを抱いて。
もし報われなかったとしても、神は見ておられる。