ぶれず、まっすぐ、歩きたい ― 2009/09/29 20:43:56
明日、東京へ帰る。
古い友人と過ごす2日目。知らない街を歩き、いろいろな出会いに感動や驚きを覚えた。
さて今年に入ってからいろいろな人から、物事をすすめられたり呼びかけられたりすることがある。
その一つひとつにはそれなりに理由がありまた、きいていてなるほど、と思えることもあるのだけれど。でも。だ。
結論からいえば、自分の道は自分で決める、ということ。
人からすすめられて「あなたには合っている」「ぜひどうだろうか」と言われたとしても、はたしてそれが自分に合っているかどうかは、わたしにしかわからない。言い換えれば、わたしについてよく知っている人でも、絶対に正しいとはいえないし、彼らの視点がわたしのそれと一致しているとは限らないからだ。血のつながった家族でさえわたしを正しく理解しているとは思えないこともある。まして赤の他人であればどうだろう。
服装に置き換えてみる。
これがいいよ、と言われてみても、そでを通してみたら全然合っていないどころか、ブカブカだったり似合わなかったり、へたをするとセンスさえも疑われるかもしれない。フットボールジャージがSやMサイズならともかく、大きなラインマン向けのXやXLサイズはとても着られない。
それでもいいよ、という人がいるかもしれないけれど、冗談じゃない。やはりわたしが着るものだから、人の言葉ではなく自分の感覚を大事にしたい。
自分に何が向いていて何が合っているかはわたししかわからない。だからわたしはわたしの感じた感覚感性や感じたことに確信を抱いている。
というわけで、自分の道は自分で決める。
着慣れないあるいは似合わない服を着ることほど、人生でもったいないことはないからだ。たった一度しかない、自分が主人公であるその人生を、大事にしたいのだ。
東京へ帰ってから、また大変な毎日だけれど、わたしは自分の感じたことや信じる道を、ぶれず、まっすぐ、歩きたい。
古い友人と過ごす2日目。知らない街を歩き、いろいろな出会いに感動や驚きを覚えた。
さて今年に入ってからいろいろな人から、物事をすすめられたり呼びかけられたりすることがある。
その一つひとつにはそれなりに理由がありまた、きいていてなるほど、と思えることもあるのだけれど。でも。だ。
結論からいえば、自分の道は自分で決める、ということ。
人からすすめられて「あなたには合っている」「ぜひどうだろうか」と言われたとしても、はたしてそれが自分に合っているかどうかは、わたしにしかわからない。言い換えれば、わたしについてよく知っている人でも、絶対に正しいとはいえないし、彼らの視点がわたしのそれと一致しているとは限らないからだ。血のつながった家族でさえわたしを正しく理解しているとは思えないこともある。まして赤の他人であればどうだろう。
服装に置き換えてみる。
これがいいよ、と言われてみても、そでを通してみたら全然合っていないどころか、ブカブカだったり似合わなかったり、へたをするとセンスさえも疑われるかもしれない。フットボールジャージがSやMサイズならともかく、大きなラインマン向けのXやXLサイズはとても着られない。
それでもいいよ、という人がいるかもしれないけれど、冗談じゃない。やはりわたしが着るものだから、人の言葉ではなく自分の感覚を大事にしたい。
自分に何が向いていて何が合っているかはわたししかわからない。だからわたしはわたしの感じた感覚感性や感じたことに確信を抱いている。
というわけで、自分の道は自分で決める。
着慣れないあるいは似合わない服を着ることほど、人生でもったいないことはないからだ。たった一度しかない、自分が主人公であるその人生を、大事にしたいのだ。
東京へ帰ってから、また大変な毎日だけれど、わたしは自分の感じたことや信じる道を、ぶれず、まっすぐ、歩きたい。
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