あきらめるのはいつでもできる2009/09/17 23:08:43

体調を崩した翌日。
少しだるさがあったけれど、夕方からの卓球練習には、コーチが来てくださり、少ない人数ながらいつもと変わらぬ濃密な練習ができた。もちろん途中で体調を崩すこともなく、最後まで練習に臨んだのはいうまでもない。

コーチがわざと顔を横に向けて球を打ち返すのは、初めは苦手だったけれどいまは気にならない。顔やからだの動きにつられるからおかしくなるのであって、基本は球を打ち返すことなのだから、球を見ることだけに集中すればよい。ラケットがどう動いているか、球がどこから飛んでくるか。しっかり見ていれば十分対応できる。

終わってからコーチを囲んで酒の場に移った。
いろんな話が出たけれど、卓球もそうだが、いま取り組んでいることやりたいことにどれだけ集中していられるか、続けていられるか。

やめるのはあきらめるのは、いつでもできるし簡単なことだ。
あさってに迫った通算4回目、手話つきとしては3回目の舞台もそうだ。
ここまで来たのだから、やめたりあきらめたりするわけにはいかないし、むろんそのつもりもない。
あきらめるのはいつでもできる。
逆に、生涯かけて神さまのみもとに行く日まで、わたしはこだわり続けていきたい。
たったひとりしか見る人がいなかったとしても。

これだけ動けたのだから、新型インフルエンザだの「O‐157」だののわけはない。
あさってに向けて、悔いのないように生きたい。