自分を信じきること2009/09/04 23:04:35

9月に入って最初の金曜日。
仕事の後で朗読の手話表現のご指導をいただいた。

おおむねろう者にも難聴者にも読み取ってもらえるだろう、とのこと。
だが、問題がないわけではない。

わたしは声だけの朗読のときもそうしているように、手話つきでも、直立不動ではなく、客席全体を見渡して、客席奥まで届くようにと、からだを動かしたり目線を奥へやったりしている。いちばんやってはいけないのは、原稿を見ようと下を向くこと。視線がお客さんに向けられていないと、お客さんに伝えたいことが伝わらず、まるで独りよがりになってしまう。そうではなく、お客さんひとりひとりとまではいかなくても、客席を見渡し、お客さんをじかに見ることで、伝えたいという気持ちを表したい。いい意味で客席と演じるわたしのあいだにキャッチボールをうながしたいのだ。
だが、そうするときに腕が流れてしまうことがある。腕を固定させること。

次には、メリハリをきかせることだ。
事故場面を3つにわけてみた。
事故が起きて客車内に緊張がはしる。信夫が凛とした声で乗客を制した。
客車を止めようとする。一度は速度が落ちるものの、なかなか思うようにいかない。あせる。そして50メートル前方に急勾配を発見、ふたたび客車を止める作業につく。
速度が落ちたいまなら、自分のからだで止められるかもしれないと判断して、身を線路と客車の間に入れた。そして――。
それらをゆっくり演じるのでも、あわてたり速くしたりするのでもなく、緊張と間をおいて読む。そうすることで、最後の2つの回想場面が生き生きと描かれていくのだ。

声は明日2回指導をいただき、手話はあと1回。
ここまでこれたのはわたしひとりではない。声、手話、両方の講師や通訳士の先生方、わたしにとって大切な人の存在なしにはありえなかった。
だからこそ感謝をこめて、自分を信じきること。
苦しいことが多かったけれど、自分を信じきることで神さまを信じ、いつかわたしも神さまのみもとへ行くまで、よりよく生きていきたい。
その始まり、ファーストステップが、今回の舞台である。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
今年のスーパーボウル優勝チームは?

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://todaywesonghands.asablo.jp/blog/2009/09/04/4563551/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。