驚き2009/07/11 17:28:18

旭川・長野政雄さん殉職記念碑
昨日の疲れがひどくて今日はお昼すぎまで眠ってしまった。いつもこんな感じで週末を過ごしている。

朗読にまた触れるのだが、『塩狩峠』のモデル、長野政雄さん。
中島啓幸さんが2007年7月に発表された『塩狩峠、愛と死の記録』によれば、1939年から1980年まで名寄~塩狩~旭川間のSL運転手だった故・阿部一男さんにインタビューしたときの会話が出てくる。事故から30年後にSL運転手だったという阿部さんに、2002年にお会いすることができたという。
それによると、ブレーキ装置があの時代、どうだったかなと思う。と阿部さんは語る。ブレーキを一カ所で止めると全車両にブレーキが利く、貫通ブレーキを使っていなかったのではないだろうか。機関車だけがブレーキを使っていたから客車が分離して転がった……。
中島さんの「人間のからだで汽車が止まるようなものなのだろうか」という問いに、阿部さんは「ある程度速度が出た後だったら、止まるような状態にはならないで乗り越えて行ってしまうでしょうね。動き出してまもなくの速度が低いうちであれば、人間のからだで車両を止めることはできると思います」と答えている。

でも、事故がどうだったかは、ことの本質ではないのかもしれない。たしかに科学的視点や事実だったかどうかは大切ではあるけれど、一つの鉄道事故が100年たってもなおこれだけ語り継がれることはそうあることではないだろう。そのこと自体がすでに驚きだとわたしは思う。