刺激がないとね ― 2009/07/02 22:51:18
まず、日中から。
補聴器というやつは音を大きくして耳に入れる。
聴こえる人のほとんど、と言ってもいいくらいだけれど、補聴器をつければ完全に聞こえると思っているらしい。
実はそうではなく、体調、補聴器をつけている場面状況で、聞こえ具合がガラッと変わったり、よく聞こえなかったりする。
昔も今も基本的には同じだけれど、レストランだとか人が大勢集まるところは、あまり好きではない。なぜなら聴きたい音以上に騒音だとかやかましい音が四方八方からはいってくるからだ。
手話サークルだとか難聴者の集まりでは、手話というコミュニケーション手段を身につけてからは不特定多数の集まるところは苦にならない。なぜって手話で会話ができるからね。
けれど、本音を正直に言うと、手話ができない環境ではレストランなどでは苦痛にしか感じない。わたしの家族では、手話のできるのはわたしだけ。余談ながら教会に通っているクリスチャンもわたしだけである。
どこに行っても少数者の思いを感じさせられているわけで、できたら手話のできる場にいるとそれだけで、ホッとするのだ。
ところが職場ではそうはいかない。手話でのコミュニケーションではない。騒音があってきついのだ。
まわりの聞こえる人にとってはなんでもない、あたりまえの音なのだろうが、補聴器をつけているぶん、よけいにうるさく感じてしまい、耳に入る音量や刺激がありすぎて眠気や苦痛を感じてしまう。
ここからさきが理解されにくい。まったくなにもない、つまり刺激がない状況でもかえって苦痛に感じるのだ。
つまり、ほどよい外部からの刺激と、コミュニケーションがあるかないかで、ずいぶん難聴者でもろう者でも、聞こえる人と一緒に過ごすことが楽しくなり、また苦痛にもなるのだ。
ホント、やっかい面倒だなとつくづく思う。
今日は夜に、2週間ぶりに卓球の練習をした。
フォアで打ってもらったボールをカットで返す。2週間前にもやったことだけれど、今晩あらためてやってみた。
カットはラケットの角度と腕の力に注意しないと、ロブになったり卓球台をはるかに超えてすっ飛んだりしてしまう。
実際のゲームでは、カットを使うことでたとえば相手のコントロールを崩したり乱したりすることができる一方、自分の打球のコントロールが難しいから、どこに行くかわからない。それと、カットを打つときは全力目いっぱいではなく、70~80%くらいに抑えたほうがいい。相手の打つ全力の球を、自分の力を抑えて相手の力を利用することでむだな体力やエネルギーを使わずにすむ。
あまりこういう技巧に走ったプレーは好みではないけれど、覚えればテクニックもプレーの幅も広がるだろう。
明日は朗読の手話表現を教えていただく。
明日が来れば今日は二度と帰ってこない。
後悔しないように。
補聴器というやつは音を大きくして耳に入れる。
聴こえる人のほとんど、と言ってもいいくらいだけれど、補聴器をつければ完全に聞こえると思っているらしい。
実はそうではなく、体調、補聴器をつけている場面状況で、聞こえ具合がガラッと変わったり、よく聞こえなかったりする。
昔も今も基本的には同じだけれど、レストランだとか人が大勢集まるところは、あまり好きではない。なぜなら聴きたい音以上に騒音だとかやかましい音が四方八方からはいってくるからだ。
手話サークルだとか難聴者の集まりでは、手話というコミュニケーション手段を身につけてからは不特定多数の集まるところは苦にならない。なぜって手話で会話ができるからね。
けれど、本音を正直に言うと、手話ができない環境ではレストランなどでは苦痛にしか感じない。わたしの家族では、手話のできるのはわたしだけ。余談ながら教会に通っているクリスチャンもわたしだけである。
どこに行っても少数者の思いを感じさせられているわけで、できたら手話のできる場にいるとそれだけで、ホッとするのだ。
ところが職場ではそうはいかない。手話でのコミュニケーションではない。騒音があってきついのだ。
まわりの聞こえる人にとってはなんでもない、あたりまえの音なのだろうが、補聴器をつけているぶん、よけいにうるさく感じてしまい、耳に入る音量や刺激がありすぎて眠気や苦痛を感じてしまう。
ここからさきが理解されにくい。まったくなにもない、つまり刺激がない状況でもかえって苦痛に感じるのだ。
つまり、ほどよい外部からの刺激と、コミュニケーションがあるかないかで、ずいぶん難聴者でもろう者でも、聞こえる人と一緒に過ごすことが楽しくなり、また苦痛にもなるのだ。
ホント、やっかい面倒だなとつくづく思う。
今日は夜に、2週間ぶりに卓球の練習をした。
フォアで打ってもらったボールをカットで返す。2週間前にもやったことだけれど、今晩あらためてやってみた。
カットはラケットの角度と腕の力に注意しないと、ロブになったり卓球台をはるかに超えてすっ飛んだりしてしまう。
実際のゲームでは、カットを使うことでたとえば相手のコントロールを崩したり乱したりすることができる一方、自分の打球のコントロールが難しいから、どこに行くかわからない。それと、カットを打つときは全力目いっぱいではなく、70~80%くらいに抑えたほうがいい。相手の打つ全力の球を、自分の力を抑えて相手の力を利用することでむだな体力やエネルギーを使わずにすむ。
あまりこういう技巧に走ったプレーは好みではないけれど、覚えればテクニックもプレーの幅も広がるだろう。
明日は朗読の手話表現を教えていただく。
明日が来れば今日は二度と帰ってこない。
後悔しないように。
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