2週間ぶりの礼拝2009/06/07 08:06:49

卓球大会などのために離れていたが2週間ぶりに礼拝に出席する。自宅へ戻る前に、行きつけの喫茶店で過ごして撮影したのが、これ。

昨日買ったばかりの補聴器の電池は今日で切れてしまった。たった一日でだよ。空気電池かデジタル補聴器専用でないと長く持たない。
しかたないから自宅へ戻るまで、いっさい音が聞こえないまま。

昨日の会話でも出たことだけれど、他者を理解するのは本当に難しいことだ。
難聴とひとくちにいうけれど、聞こえの具合はまちまち。高齢になってから聞こえなくなった人や、病気のために聞こえなくなった人。補聴器が素晴らしい効果をもたらす人がいて、補聴器では効果がない、ほとんど役に立たない人もいる。手話ができる人もいればできない人もいる。
そういう多様さのなかでお互いを理解し合うのは、口ではなんぼでも言えるけれど、実際にはなかなか容易なことではない。ついわたしたちは手話ができればと思ってしまいがち。いくら気をつけていても「上から目線」になってしまう弱さをもっている。その弱さと多様さをどう分かち合えるか。

今月また青年会で手話賛美をともに学ぶ予定である。とりあえずの課題である「ひとりの小さな手」(本田路津子さん)をいきなり全部覚えようとするのはっきり言って無理。まず前回の繰り返しをやってから、次に手話の基本である指文字などに入っていこう。
ある人が「ひとりの小さな手」を制覇する、と意気込んでおられたけれど、意気込みは大切な一歩であって、手話ソングを覚えたから手話ができるというほど生易しいものでも簡単なものでもない。
大事なこと、それは手話はあくまでも入り口のひとつであって、すべてではないということだ。手話をきっかけに聞こえない人への関心を向け、どうしたらコミュニケーションが豊かになるかということ。そして聞こえない人の不利益である、情報を手に入れられない、社会から排除されてしまう孤独、といった問題にも目を向けていきたい。