しゃあないと割り切って2009/03/11 23:27:39

仕事が終わって、ちょっと体調を崩したので病院へ行ってきた。
あんまりいい会話ができなかったね。わたしの説明に医師は苦笑いするし、なんだかまじめに聞いてくれないような気がして。
診察と簡単な検査の後の説明は、筆談がなかったし。急なことだったから要約筆記の団体に筆記者の派遣をお願いできなかった。昨日の特発性過眠症のときは看護士が対応してくださったけれど。

ま、そんなものだ、しゃあない、と割り切っていこう。

いまやっていることへの集中力を2009/03/12 23:13:25

昨晩の病院のことをもう少しだけ。

鼻から細いカメラを入れて内部を撮影したのと、チューブから鼻に薬を入れただけの、ごく簡単な検査だけ。あとは筆談なしの説明を聞いた。
耳が聞こえないので、と受付にも説明したけれど、きちんと伝わっていなかったから中途半端な結果で終わった。
で、医師によれば内臓に問題があるかもしれないから、そちらを診ては、ということらしい。……。やれやれ。

仕事の合間に、ケーキを囲んで、仕事の将来だとかいろいろな話ができた。筆談である程度把握できたのがとてもうれしい。あっというまの時間だった。感謝である。

今晩は卓球。
熱中して、思い切って相手に、台の縦半分を使った打ち合い練習をお願いした。あえてスペースを狭くとることで球に対する集中力を養うのと、ピンポイントとまではいかなくても、コントロールに気をつけたいのがねらいだ。

フォアとバックハンドの繰り返し、台から離れて打つ。いろいろ出来たのが収穫だ。

なにより球への、ひいてはいまやっていることへの集中力を養えた。
フットボールでいえば試合終了40秒前、ボールはエンドゾーンまであと15ヤード、パスでもランでもタッチダウンをとれば逆転できる。そんな場面にあなたがクオーターバックだったらどうプレーコール、指示を出すだろう(試合では、たとえば相手チームの守備体型を読んだりどう動くかを予測したりしなければならないからもっと複雑な対応力が要求されるけれど)。
そんな具合に、自分でイメージしながら、一球への集中を失わないことだ。

明日もまたがんばろう。

万が一なにかあったときに困るのはわたしだ2009/03/13 23:30:40

昨年斜視の手術を受けると決める前の検査で、初めて手話通訳をお願いしたときに住んでいた都内の区から、医療に詳しい手話通訳者の派遣をいただくことができた。おかげでどんなに落ちついていられたことか。ふだん冷静に手話で会話ができているつもりでも、病院などという緊急事態には、冷静さを保つのは並大抵ではない。不安や苦痛や、いろいろついてまわる。

しばらく様子を見て、検査についてはまたあらためて考えることにしよう。

九州は早くも桜が咲いたとか。東京も今月末には満開かもしれない。

外は、雨。

疲れがどっと出てしまった2009/03/14 23:44:09

昨日夜からけさにかけて、全国各地で強い風のために建物や歩行者など、被害が相次いだそうだ。九州を出発した、寝台特急ブルートレインも、強風や途中駅の人身事故などのために、東京へ着くのが大幅に遅れたとか。

特発性過眠症の薬をのまずに過ごした一日。特別誰かと会うという予定もないし、たまにはからだを休めないともたないから、午後までゴロゴロ。
ところが午後から出かけて帰ってくると、とたんに疲れがどっと出てしまった。

明日からまたあるのだし、今日はエンジンもエネルギーもなくなりました……。

明日は3週間ぶりにこちらの教会で礼拝に出る。

お互いにどこまで通じているかの疑心暗鬼になって2009/03/15 23:03:01

久しぶりにこちらで礼拝に出てみたけれど、すっかり変わってしまった。というのも教会の改修工事などがあるため、入り口も壁もいま、工事の最中なのだ。

昨日の疲れは7割とれた感じ。けさ起きてみたらそれでもだるくて、まるで病み上がりのような体調だった。どうにかこうにか礼拝にかなり遅れて出席して、少しだけ会話を交わすことができた。旭川旅行の話、「塩狩峠」、いろいろ。

午後から、住んでいる地域の難聴者団体がひらいたコミュニケーション講座に参加してきた。
質疑応答の時間に先週にあった病院検査の話を出して、とっさのときの病院のときや検査のときに困る、という話をした。

ホントに冗談ではなく、病院ほど困る場面はないと言っていい。
毎週定期的に行く検査や診察ならまだある程度対応ができて、医師も看護士も「聞こえない」と言うことを理解できているから、楽。
ところがこのあいだのように要約筆記も手話通訳もなしにいきなり行くときは、お互いにどこまで通じているかの疑心暗鬼になって、とても不安どころではない。

今週もまた一日を大事にしよう。

競い合ってレベルを高めて2009/03/16 23:56:43

けさ早くに目が覚めてテレビをつけてみる。
サンディエゴのペトコパークでひらかれていた、第2回ワールドベースボールクラシック、ジャパン対キューバ戦を生中継していた。結果は6-0でジャパンがキューバを下した。一方、その試合後に同じペトコパークで、メキシコ対韓国戦があり、8-2で韓国が勝った。

日本はアジアラウンドでの対戦に続いてまたも、韓国と戦うことになった。現地時間で3/17(火) 20:00。日本時間では3/19(木) 12:00である。

アメリカはプエルトリコにコールド負け。敗者復活戦でオランダと対戦して9-3で勝ったが、決勝には進めないだろう。

これはアメリカにとって恥以外の何物でもないだろうが、けれどスポーツの発展という意味では大きなできごとだと思う。

アメリカンフットボールでも、2007年に川崎でひらかれた第3回ワールドカップは日本とアメリカの決勝戦だった。NFL経験者やメジャーカレッジ、NFLに選手を出すような強豪大学出身者はいないアメリカ代表相手に、敗れたとはいえあと一歩まで追いつめた日本代表。ほかにもデンマークやフランス、ドイツなど、あまり知られていないだろうけれどもヨーロッパでは強豪だという国からの参戦があった。それでも決勝戦のときには、各国代表選手いずれも、食い入るようにしてアメリカと日本の試合を観ていたものだ。

いつまでもひとつの国が強い競技は、興行としても競技レベルの向上という視点からも、けっして好ましいことではない。むしろ強豪を倒すほどに、ほかの国が競い合いレベルを高めていくことが、全体の底上げ、レベル向上につながる。

みたび戦うことになった日本代表と韓国代表。
やっぱりこうなるのかなと思いつつ、本場アメリカで日韓が競い合うなんて、10年、いや5年前まで想像もできないことだった。

日本以外との対戦でないから、イギョラ(がんばれ!)と言えないのは残念だけれど、競い合ってアジアのレベルを高めていって、いずれメジャーの単独チームなりオールスターチームに勝つくらいになってほしいと、アジアの一員として思う。

ひととのつながりを保つために2009/03/17 08:04:18

FAX気付かず、救急車出動40分遅れる 横浜市
http://www.asahi.com/national/update/0315/TKY200903150128.html

この記事によれば、救急要請を受ける受信の際に鳴るブザー音が「故障で鳴らなかったのが原因」だという。ファクスのおかげでどれだけコミュニケーションの幅が広がったことかと思う。けれども機械だから、どんなきっかけで故障したり使えなくなったりすることだろう。人命にかかわるだけにほんとうにこわいことだ。

今日はかつて住んでいた都内の区でひらかれていた難聴者向け手話教室の年度末最後の日だった。
若い人よりは高齢者が多いこの会は、彼らにとってオアシスのようなも存在かもしれない。
聞こえなくなるだけではなく、高齢になると外出もおっくうになったりわずらわしくなったり、社会とのつながりが途切れてしまう。独り暮らしになるとますますその傾向が深まっていく。高齢者に手話をすすめると、「いまさら覚えられない」とか「手話は必要ない」などといった声を聞く。
けれど今日の会に参加した高齢の方々をみていて、高齢だからこそ手話を覚える、コミュニケーション手段にとどまらず他者とのかかわり、人間関係のつながりを断ち切らない、という側面があるのではないだろうか。

いつかは誰もが年を重ねて高齢になっていく。わたしもその例外ではない。昨日までは疲れが早くとれていたのが、今日はとてもひどい疲労を感じて、休みたいと思うこともある。たまにだけれど物忘れがあったり名前を思い出せないということさえある。
そんなときでも手話なりコミュニケーションなりがあって楽しいと感じる場面があれば、わずかでも生きる希望を感じるのだ。

高齢だから必要ない、ではない。高齢だからこそひととのつながりを保つためにあるのだ。

気温が20度近い、5月並みの暖かさだった今日。そのせいか耳鳴りがひどいのに加えてとても疲労を強く感じる。

あれから1年か2009/03/18 14:01:21

ちょうど1年前の今日。わたしは都内の病院で斜視の矯正手術を受けた。1年前、とても色美しい桜が咲いていた。もし失敗したらもう二度と桜を見ることはできないだろうなあと不安と恐怖を強く感じていたのを覚えている。
手術台に上がっても局部麻酔で意識があった。二重三重にかぶせられた、黒い膜の向こうで医師が手を動かしているのが見えた。見えなくなる前に、もう一度だけでいいから会いたい人がいる。そのひとの顔を思い浮かべながら痛みに耐えていた。

あれから1年。
まだ桜は咲いていないけれど、もうそろそろだろう。

あのときほんとうに生きているということの意味をしみじみと感じた。生きているからこそ朗読だの手話だと、取り組むことができる。
そして病気でないときにはまったく感じることのできない、一瞬一瞬の、いろいろなかかわりできごとを新鮮に、二度と来ないものだからこそいとおしくかけがえのないものとして感じられる。明日になれば感じ取ることができないかもしれない、という緊張した思いを感じる。

病気も障がいも、生きる意味を感じさせるために与えてくださった贈り物なのだろう。動物は生きる意味を感じることはできない。人間だけがそれらを感じ取る感性を抱くことができる。だからこそ生と死について考え悩み、それぞれに生きる意味を見いだそうとし、最後の瞬間まで生きた何かを遺そうとする人もいる。わたしもできるなら、もし今日で終わると知ったら、最後まで何かを遺すために生きたい。
自分のためではなく誰かのために。じかに伝えられなくても、その誰かに何かを伝えることができたら、それで十分うれしい。

明日が来れば今日は二度と帰ってこない。
その今日という日をわたしはどれだけ真剣に生きただろう。

一瞬一瞬をたいせつに。

こころが折れかけた2009/03/19 23:25:50

卓球の練習日。
コーチが来てくださり、練習で、コーチがわざと顔を向ける方向とは反対方向に打ってきたボールや台の左右をいっぱいに使って打ってきた球を、ほとんどカバーすることができた。
慣れてきたからだろう、球筋を見切ることができたからだ。
ああいう「ひっかけ」テクニックは高度なレベルだけれど、相手の動きに惑わされないこと。ボールをしっかり見ること。

日中、うまく気持ちがコントロールできない。なんというのだろうかさびしいというか、空しいというか、気持ちが安定していないままの一日だった。

理由はいろいろあるのだけれどここでは触れない。

明日は夜から手話ソングのご指導をいただく。

夏に雪は合わないよねえ2009/03/20 23:05:12

試合終了の午後2時前まで、WBCのプール1、1位決定戦、4度目の対戦となった日本代表対韓国代表の試合を見てから、ひどく疲れて2時間ほど眠りについた。テレビ観戦で疲れたのではなく、昨日の精神的な疲れからだ。卓球の練習くらいはどうってことはない。むしろあれくらいやらないといけないと思っているが。昨年あと一歩で初勝利を逃したのだ。今年こそは!

夕方から手話ソングのご指導をいただいてきた。
トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」「特別な望みなどないけれど」「はじめに愛があった」と水前寺清子さんの「ありがとうの歌」を覚えようと思ったのだが、「虹と雪のバラード」はおおかたできているけれど発表時期として当初予定していた今夏は季節柄合わない。年末なら、年明けに冬季五輪のバンクーバー大会があることだし、話を持っていきやすい。「はじめに愛があった」は手話として聞こえない人にもわかりやすいだろう。そういう理由から、「はじめに愛があった」と水前寺清子さんの「ありがとうの歌」に決めた。

朗読もあるし、年末もあるし。
半年どころではなくなった、長丁場の取り組みだ。