あれから1年か2009/03/18 14:01:21

ちょうど1年前の今日。わたしは都内の病院で斜視の矯正手術を受けた。1年前、とても色美しい桜が咲いていた。もし失敗したらもう二度と桜を見ることはできないだろうなあと不安と恐怖を強く感じていたのを覚えている。
手術台に上がっても局部麻酔で意識があった。二重三重にかぶせられた、黒い膜の向こうで医師が手を動かしているのが見えた。見えなくなる前に、もう一度だけでいいから会いたい人がいる。そのひとの顔を思い浮かべながら痛みに耐えていた。

あれから1年。
まだ桜は咲いていないけれど、もうそろそろだろう。

あのときほんとうに生きているということの意味をしみじみと感じた。生きているからこそ朗読だの手話だと、取り組むことができる。
そして病気でないときにはまったく感じることのできない、一瞬一瞬の、いろいろなかかわりできごとを新鮮に、二度と来ないものだからこそいとおしくかけがえのないものとして感じられる。明日になれば感じ取ることができないかもしれない、という緊張した思いを感じる。

病気も障がいも、生きる意味を感じさせるために与えてくださった贈り物なのだろう。動物は生きる意味を感じることはできない。人間だけがそれらを感じ取る感性を抱くことができる。だからこそ生と死について考え悩み、それぞれに生きる意味を見いだそうとし、最後の瞬間まで生きた何かを遺そうとする人もいる。わたしもできるなら、もし今日で終わると知ったら、最後まで何かを遺すために生きたい。
自分のためではなく誰かのために。じかに伝えられなくても、その誰かに何かを伝えることができたら、それで十分うれしい。

明日が来れば今日は二度と帰ってこない。
その今日という日をわたしはどれだけ真剣に生きただろう。

一瞬一瞬をたいせつに。