ひととのつながりを保つために2009/03/17 08:04:18

FAX気付かず、救急車出動40分遅れる 横浜市
http://www.asahi.com/national/update/0315/TKY200903150128.html

この記事によれば、救急要請を受ける受信の際に鳴るブザー音が「故障で鳴らなかったのが原因」だという。ファクスのおかげでどれだけコミュニケーションの幅が広がったことかと思う。けれども機械だから、どんなきっかけで故障したり使えなくなったりすることだろう。人命にかかわるだけにほんとうにこわいことだ。

今日はかつて住んでいた都内の区でひらかれていた難聴者向け手話教室の年度末最後の日だった。
若い人よりは高齢者が多いこの会は、彼らにとってオアシスのようなも存在かもしれない。
聞こえなくなるだけではなく、高齢になると外出もおっくうになったりわずらわしくなったり、社会とのつながりが途切れてしまう。独り暮らしになるとますますその傾向が深まっていく。高齢者に手話をすすめると、「いまさら覚えられない」とか「手話は必要ない」などといった声を聞く。
けれど今日の会に参加した高齢の方々をみていて、高齢だからこそ手話を覚える、コミュニケーション手段にとどまらず他者とのかかわり、人間関係のつながりを断ち切らない、という側面があるのではないだろうか。

いつかは誰もが年を重ねて高齢になっていく。わたしもその例外ではない。昨日までは疲れが早くとれていたのが、今日はとてもひどい疲労を感じて、休みたいと思うこともある。たまにだけれど物忘れがあったり名前を思い出せないということさえある。
そんなときでも手話なりコミュニケーションなりがあって楽しいと感じる場面があれば、わずかでも生きる希望を感じるのだ。

高齢だから必要ない、ではない。高齢だからこそひととのつながりを保つためにあるのだ。

気温が20度近い、5月並みの暖かさだった今日。そのせいか耳鳴りがひどいのに加えてとても疲労を強く感じる。