霊魂(たましひ)の救(すくひ)を受くるに因る2009/03/09 22:00:22

今日読んだ新聞記事のなかに「大事なことは、自分を信じることだ」とあった。
そのひとことを、夜になった今も忘れることができないでいる。

自分を信じる――。

汝ら、イエスを見しことなけれど、之を愛し、今見ざれども、之を信じて、言ひがたく、かつ光栄ある喜悦をもて喜ぶ。これ信仰の極(はて)、すなはち霊魂(たましひ)の救(すくひ)を受くるに因る。
               (文語体 新約聖書 ペテロ前書   1:8)

決定稿ではなく、朗読の講師先生にお送りしたものの元である、「塩狩峠」の抜粋部分をコピーした、朗読のテキストを仲間にお見せしてアドバイスをいただいた。それをもとに、もう少し、「塩狩峠」から抜粋してテキストに加えてプリントにして、4月から始まる講座のときに先生にお渡ししようと思う。
なにしろ4月からの講座が終わらないと、舞台への、クラス全体の取り組みは始まらない。勝手に進めるわけにはいかない。さらには、昨年までのように、難聴者やろう者にも楽しんでもらえるように映像を加えたいと思うとともに、聞き取りにくい聞こえない彼らに、朗読の台本を事前に配布して読んでもらう、情報保障としての取り組みはどうだろうか、という問題もある。
わたしの台本にしてもアドバイスはいただいたけれど講師先生のお考えをうかがいながら、ゆっくりすすめていくしかない。

手話ソングは「虹と雪のバラード」を考えたけれど夏の納涼会では合わないかもしれない。「虹と雪の~」は今年末にとっておいて、別の曲にとりくんでみるのもいいかも一案か。「虹と雪の~」がやる意味がない、というのではない。やることは大事だし、やって覚えていつか、みなさんにお見せできるときまで待ってもいいだろう、ということだ。

加えて、わたしが抱くこれらの夢やプランや将来へのビジョンは、実現させるぞ、と強い意志で取り組んでいる。だがはたしてできるのかどうか不安がないわけではない。
けれどこれらの夢や将来へのビジョンを与えてくださったのはほかならぬ神さまなのだから、どんなことがあろうとも途中で投げ出したり捨てたりやめたりしない。取り組んだこと、やってきたことは絶対に報われるし、無意味ではない。かならず実現するのだ。それがわたしの思う通りではなかったとしても、かならず実現する。

「大事なことは自分を信じること」――。
そしてどんな結果があろうとも神さまが備え与えてくださるのだから、すべてをよしとして受け入れていく。神と自分への信頼。
自分を信じていくその向こうというか延長線上に、神さまが導き備えて下さるのだ、という確信を。
根気よく取り組み続けて、実現するその時を待ち望みながら。