どうしてほほえみを捨ててしまうのだろう2009/03/06 23:30:42

今日から、手話ソングの個人レッスンご指導をいただくことになった。
朗読もあり、9月までの長丁場が楽しみである。

当初、トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」を考えていたのだけれど、手話サークルの納涼会は8月である。おいおい、8月の夏に雪? ちょっと合わないのではないか? というわけで「虹と雪のバラード」はそのまま当初通りすすめることにして、ほかに同じトワ・エ・モアのアルバムから、以前ここに書いた「特別な望みなどないけれど」と「はじめに愛があった」を加えることにした。
で、あらためてこの2曲の歌詞をおこして入力してみた。

 「はじめに愛があった」の歌詞も、こころにとてもよくしみとおる。

      生まれたよろこびと生きているつかれから 
      わたしははじめて眠りました

 たぶんこれは、赤ちゃんの気持ちをあらわしている。
 そしてはじめてのわが子を抱きしめた親の感動なんだろうね。
 まだ結婚どころか子どももいないのだけれど、子どもが眠っている。
 抱かれて安心している、その子どもがどんなに安らいでいることだろう。

      大きな腕の中 わたしは抱かれて 
      これからの人生を 夢見たのです
      こころにいつも花が咲いてる…… 
      この青い地球には 苦しみはないと

 まだ赤ちゃんだからそこまでの意識はないけれど、親にすれば、この子が将来どんな人間になってくれるだろう、人生無風ばかりとは限らない、荒波もあろうし苦しみ困難もあろう。けれどこころに花が咲いていてほしい、という願い。
 できればこの子が歩む星では、苦しみはないと。

 けれども悲しいことに、残念だけれどいまもなお、苦しみ悲しみがなくならない。毎日新聞やテレビを見ると、悲惨なできごと、平気でひとのいのちをあやめたり奪ったりするという話ばかり。
 わたしもほんとうに思う。たったひとつしかない、すくなくともいのちの存在が確認されている星はここ、地球しかないのに、なんで殺しあったり憎みあったりするのだろう、と。

       はじめに愛があった どこまでも青い空があった
       みんなのやさしい  ほほえみが

 みんな、はじめはそうだったはずだ。赤ちゃんをみて思わず笑顔が出てしまう。みんなの優しいほほえみに囲まれて育つ。

 なのにどうして、ほほえみを捨ててしまうのだろう。