神さまにおまかせしてできることを精いっぱいやろう2009/02/18 22:32:22

写真は、昨年1カ月で続けて亡くした、インコ。たま~に写真を見ると思いだしてしまう。でも写真を撮ってよかったなと思うのは、この一枚などを見るときだ。
奥の黄色い頭のインコがこちらを向いて首をかしげるようにしている。出来上がってから気づいたのだけれど、その首をかしげる姿がとてもかわいくて、いつもみるたびに懐かしいなあ、かわいいなあとつい、声をかけたくなる。返事がないのを分かっていながら、こちらもニコニコしてしまう。

亡くなってからまだ3カ月しかたっていない。忙しいから行きつけだったペットショップにも最近は足を運んでいない。昨年末に行ったときはインコを見るとフラッシュバックでちょっときつかった。たぶん今なら少しは耐えられるだろうとは思う。

で、愛するものを天に送ってからいろいろあってはじめのころは、インコに恥ずかしくないようにと感じていたのが、いまは少し変わってきた。もちろん仕事だとかやりがいはりあいを感じ、負けてはいられないという強い意欲は失せていない。だが、天に帰ったインコは神さまのみもとにおられるのだから、このいま生きているわたしがどうすることも何をすることもできない。
できるとしたら、神さまのみもとにいるインコのためではなく、いまこの世界にともに生きている仲間や友人、仕事、いろいろなつながりで結ばれているひとたち、ひいてはこの世界のために生きることしかない、と思う。

いつかはわたしもインコがいるだろう神さまのみもとにいく。いやだといったっていつかは行かなければならないんだから、それまでの時間があるあいだ、できることを精いっぱいやろう。

ほかに、弟子の一人がイエスに、「主よ、まず父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」

                       (マタイによる福音書 8:21~22)

葬儀はどうでもいいと言うのではないし、死んでいる者が自分たちの死者を葬るなんて、ありえないことだと思う。
わたしが感じるのは、イエスさまは「わたしに従いなさい」と、信仰をまず第一にしておられる。信仰が1番目。ついで神のみもとにおられる死んだものを神さまにおゆだねする。つまりは、神さまのなされる領域と人間のしなければならないことは違うのだということ。いま生きているわたしたちも、いつかは死ぬ。だからこそしなければならないのは、信仰をもってこの世界での生活、人生の歩みを信仰者らしくよく生きていくこと。
そういうことなのだ。

現実には難しいことだけれど、祈りつつ、かならず実現すると信じて生きたい。それこそいつ神さまのみもとに行くか、誰もわからないから。その時になって後悔したくない。