手を取り合って生きていかなくてはいけない2009/02/10 22:01:27

昨年再結成した、女性ボーカルグループ「SPEED」のメンバー、今井絵理子さん。
一面識もない方だけれど、4歳の息子さんはわたしと同じ感音性難聴だという。その今井絵理子さんをとりあげた雑誌『婦人公論』を読んだ。

昨年再結成するまでのエピソードが放送されたテレビ番組を見た。今井さんの息子さんは、歩行がおぼつかない足取りだった。
感音性難聴は聞こえないことに加えて、平衡感覚がとれないことがある。わたしも蛇行した歩き方をしてしまうことがあるが、耳の中の平衡感覚機能がうまくとれないからだ。大学時代にサークルの先輩と並んで歩いていて彼女をあやうく車道に押し出しそうになったことがある。そのときは笑ってゆるしてくれたけれど、いまでも初めてみる人からしたら、なんだあれは? と思う人もいるだろう。そんなときは笑ってもいいから、聞こえないためにバランスがとれないのだということを知ってほしい。

記事に話を戻そう。
今井さんは、4年前生まれてきたわが子が耳の聞こえないことを知って泣いたという。夫も自分もミュージシャン。なのに音を歌を聞かせてあげられない。一日だけ泣き明かして、それからは子どもの耳のことで泣くのは一切やめた。そして母親の自分が笑顔でいなくては。前向きに明るく生きていかなくてはと思っているという。

今井さんはこうも語っている。
「わたしの夢は、障がいは個性だということを認め合い、共存できる社会を作ること。夢を実現させるためにわたしに何ができるのかを考えながら、こつこつ活動を続けていきたい」
今井さんが黒柳徹子さんと対談したときに、黒柳さんはこう語ったそうだ。「いまは障がいをもつ人と健常者に分けて学校を作っているから差別が生まれるし、大人になったときにコミュニケーションを取り合うのが難しい」。黒柳さんが子どものころは、障がいのある子どもも障がいのない子どもも同じ学校に通っていた。そのなかからコミュニケーションの方法もわかっていた。黒柳さんは「昔のようにみんながいっしょに通える学校があったらいいのにね」と今井さんに語った。
分けたほうがいいのか一緒がいいのか。結論は出ない。
ろう学校を経験していないわたしには、結論を出す資格などないかもしれない。
けれど、一緒ならば、お互いが違うからこそ認めあい、手を取り合って生きていかなければならないことを、理屈ではなく肌身で見につけることができるのかも知れない。いま振り返ってみると、普通学校でも、少しでも早い時期に手話を覚えていたらなあと思う。

障害者の解雇倍増 厚労省、経団連に雇用確保申し入れ
http://www.asahi.com/national/update/0210/TKY200902100305.html

なんということだろう。
これでは、まるで経営者や企業にとって、都合のいい調節弁として扱われているではないか。いったい障がい者の雇用労働を何だと思っているのだろう。

これでは、とても「障がいは不幸ではない」と胸を張っていえるどころではない。

なんとも、怒りを覚える。