絶叫しなくとも ― 2008/08/09 22:27:08
そういえば。
いつごろからだろう、スポーツ中継で絶叫するアナウンスが聞かれるようになったのは。
1936年のベルリン五輪、200メートル平泳ぎで前畑秀子さんが金メダルを取ったとき、「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」と絶叫したのはあまりにも有名。だけれど、プロのアナウンサーなら、絶叫するのではなく冷静に、いま起きている状況がなんでありどうなっているのかを伝えることだ、と。アナウンスは拡声器ではない、とも。
いまは逆に、アピールをすること、アピールをしないと伝わらないとでも言いたげなようだ。
朗読とアナウンスは違うけれど、言葉で語るという点では同じものだ。
絶叫するというなかに、語るものが感じたことを、見聞きしている者に押し付けているような、無理をしているような気がする。
今回もわたしは声と手話で語るけれど、絶叫しないように、舞台上ではある種冷静になりたい。絶叫しなくとも、わたしが感じたこと、表現したいことは自然と伝わるのではないか。
そう確信を持っている。
いつごろからだろう、スポーツ中継で絶叫するアナウンスが聞かれるようになったのは。
1936年のベルリン五輪、200メートル平泳ぎで前畑秀子さんが金メダルを取ったとき、「前畑がんばれ! 前畑がんばれ!」と絶叫したのはあまりにも有名。だけれど、プロのアナウンサーなら、絶叫するのではなく冷静に、いま起きている状況がなんでありどうなっているのかを伝えることだ、と。アナウンスは拡声器ではない、とも。
いまは逆に、アピールをすること、アピールをしないと伝わらないとでも言いたげなようだ。
朗読とアナウンスは違うけれど、言葉で語るという点では同じものだ。
絶叫するというなかに、語るものが感じたことを、見聞きしている者に押し付けているような、無理をしているような気がする。
今回もわたしは声と手話で語るけれど、絶叫しないように、舞台上ではある種冷静になりたい。絶叫しなくとも、わたしが感じたこと、表現したいことは自然と伝わるのではないか。
そう確信を持っている。
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