思案のしどころ2008/06/11 22:27:01

来月から始まる、9月20日の舞台発表に向けたテキスト選択。
いろいろ思案しているが、今候補に挙がっているのは、特定非営利法人みやぎ・せんだい中途失聴・難聴者協会から出ている、難聴者自らが自分の苦しみ悩みをつづった小冊子「ほちょうきとりて」。もうひとつがヘレン・ケラーの「楽天主義」。

しかし、問題がある。
「ほちょうきとりて」は短い文を集めて作られた。「アンネの日記」のように長い文が少ない。5分を超える時間をいただいているのだけれど、足りないかもしれない。さらに映像をどうするか。単なるイメージ写真では伝わらないだろう。昨年はアンネという説得力のあるテキストだったし、オランダやドイツを回っての撮影取材でできた写真が強いイメージをもたらした。
難聴、というだけではイメージがつかみにくい。

まだ決まったわけではない。
もう少し迷うことになるかもしれない。

限界を決めないで2008/06/12 23:29:45

卓球の練習日。久しぶりに来てくださった方がいて、うれしい。

今日のテーマは「思いきりをよく」。
踏み込んで目いっぱい打つ。また、難しいと思ってもあきらめないで食いついてみる。
ダメもと、ダメでもともとという言い方もあるけれど、どちらかというとそういうギャンブル的な、破れかぶれではなく、まずやってみる。だめだとはじめから結論を出さないで、思いきり打つ。

これは人生にも言えるのかもしれない。
もてないとか顔が悪いとか、不細工だとか、誰が決めたのだろう。いいじゃないか、不細工だって。もてなくたっていいじゃないか、誰かをいのちをかけて愛することができれば。報われなくたっていいじゃないか。
一生懸命その人を思い愛したことは無意味ではないよ。
斜視を手術してから「優しい目になったね」と言われて悪い気がしない。

自分に評価を下すのはかまわないけれど、それを最終結論にしてはいけない。まだまだどこかで見ている人がいる。もし世界中のすべての人がわたしをみていなかったとしても、イエス・キリストがみている。そう信じているから、どんなにつらく苦しいことであっても、乗り越えられる。
自分に、自分以外の基盤をもっていないから、自分の許容範囲を狭くしているから苦しくなる。

きっと誰かがあなたをみている。その、誰かがいることを忘れないで。
限界は、自分がこの世を去る時に初めてできるのだと思う。

パントースト2008/06/13 21:12:54

たま~に、地下鉄乗換駅の近くにある喫茶店で朝食にパントーストとコーヒーを頼むことがある。
コーヒーはテークアウトが可能なので紙袋に入れてもらって職場で飲むことも。

ところが最近のバターなどの値上がりがあって、これも楽しめるかどうか微妙な雲行きだ。値上げしないらしいが、もしそうなったらどうしようかと、思いが頭をよぎる。

コーヒーにしろパンにしろ、またお米にしろ、食べることは切っても切り離せない。
世界的食糧難が言われているいま、パンを見ながらふとためいきをつく、そんな朝だ。

スパイスが脳を活性化させる?!2008/06/14 14:45:07

わたしのお気に入りの食べ物は、なんといってもカレーライス。最近は辛いものを好んで注文する。だんだん辛さに慣れてきたのか、街中でいただくカレーに辛さを感じなくなってきた。
ところでカレーというとスパイスである。
今日の新聞夕刊に、「スパイスが脳を活性化させる」という見出しの記事が出ていた。

これによると、25~39歳の女性6人に、カレーとおかゆを別の日の同じ時刻に、かまずにのんでもらったところ、カレーはおかゆよりも大幅に多い2~4%も脳血流量を増加させたというのだ。つまり脳の血流量が増えると酸素が脳に行きわたり、脳が活発に動き出すという。集中力が高くなる人もいるそうだ。

記事を読んで、ひょっとしたらこれ、夕食よりも朝食向きのメニューではないだろうか。たとえば試合前の朝食でもいい。勝つとカツをひっかけてかつ丼なんかにするよりもずっといい。野菜がたくさん入るし、ご飯も一緒に食べられる。栄養バランスがいいし、週に一度冷蔵庫の整理を兼ねて作れば食材の無駄が出ない。冷凍もできるし……。

なるほど、インド式ミルクティーの「チャイ」などを飲むようにして、冷たい水を飲みすぎないこと。作るときはルーが溶けたら火を止めてしばらく置くといいのか。

さっそく作ってみるとするか。

自転車と道路のすみ分け2008/06/15 21:53:51

昨日、夕方から3時間ほど、葛飾区堀切→小菅→千住→北千住と、自転車でサイクリングに行ってきた。

帰りの夜道で道に迷ってしまい、予定時間を超えて帰ってきたのは、東京拘置所の周囲を半周してしまったから。橋を渡って足立区に入ると遠くに東京拘置所が見える。振り返ると青空が美しい。
生きているからこそ美しい空を見て感動することができる。とともに正反対に、拘置所に収容されている人々のことを思う。

さて。
以前にも書いたけれど、3時間のサイクリングであらためて自転車が歩道を走るのは危険だとつくづく感じる。
時間帯からして高齢者が少なかったのは予想できること。もしこれが早い時間だったらどうだったろう。
できるだけ車道を走るように心がけたけれど車道もドライバーにとっては自転車は迷惑な存在に感じるのかもしれない。

写真は都内のある、実験的に作った自転車専用ロード。
いますぐにすべての道路に自転車専用レーンをつくれ、というのは無理だが、もっと自転車専用レーンが増えないものか、とあらためて昨日のサイクリングを思い出すのだった。

原稿提出2008/06/16 23:09:53

来月から始まる3回目の朗読舞台に向けた取り組みで台本をパソコン入力する作業が終わり今日、講師に郵便で送った。

今年は『特定非営利活動法人 みやぎ・せんだい中途失聴難聴者協会』からでている、聴覚障碍者自らがつづった文集と、昨年読もうとしていたゲイル・セイヤーズの『スーパー・ランナー』から、「新しい日」という詩、そしてわたしの難聴者としての思いを組み合わせてみようと決めた。

あとは手話表現と音楽、映像をどうするかだ。
じっくり取り組んでみよう。舞台本番まであと3カ月もあるのだから十分時間はある。

やってよかった、といえるすばらしい舞台にしたい。
この青空のように、こころが晴れわたるように。

インドのカレーとライス2008/06/17 23:20:33

写真は、先日都営地下鉄大江戸線の大門駅そばでみつけた、インドカレーの専門店で撮影したもの(と書いたら都内に住んでいる人ならすぐにわかるだろうね)。
ライスも撮影したのだけれど写りが悪すぎてとても使えない。カレールーだけでご勘弁を。

このお店は何と、ナンとインドの最高級米の両方を選べる。
インドの米は日本ではなじみがないけれど、なかなかどうして、カレーにも合う。なんといったらいいかな、口に張り付くような、という感じだろうか。米粒は日本のコメよりさらに小さく、細長い。粒の一つひとつがまるでバラバラのようにみえる。よってたぶん炒めたらぱさつくのではないかという気がするが、その粘り気というか張り付くような感じと粒の小ささが、カレーにはちょうど合うようだ。日本ではこのコメは手に入らないのだろうか。

ルーはやはり日本以上に辛く、刺激が大きい。油が多いような感じだが、これがコメにかかるとほどよく調和する。

ヨーロッパでもカレー風味のメニューはあるらしいが、コメにかけて食べる、あるいはコメと一緒に食べるのはアジアだけなのだろうか。
なかなか奥が深いカレーの世界。辛くないとカレーとはいえない、とわたしは思う。

「24時間戦えますか?」2008/06/18 22:56:35

明日は朝早くから仕事前に用事があり、重い卓球用具一式をかついで(?)出かけなければならない。

その前に、戦う食事としてカレーを食べる。今晩も食べたけれど、辛さがまだ足りない。というか慣れてしまって、ちょっとそっとの辛さでは満足できないらしい。

なんだかここ数日の記事はカレー談義だなあ。でも楽しんでいます。

昔流行った「24時間戦えますか?」のコマーシャルソング。覚えている人はいるでしょうか? あれにはいまでも笑えるしカラオケで歌えないこともないけれど(それよりカラオケにまだあるのか?)、ドリンクよりはカレーのほうが、戦う前の食事にはいいような気も……。

さあ、早目に眠ってまた明日から戦うぞ!
ジャパニーズカレーマン、なんちゃって。

気合いをこめて2008/06/19 23:14:07

というわけで、けさはカレーを食べてから出勤に。

これが自宅で作ったカレー。
どうでしょう。

梅雨が明けたら、出勤前か仕事が終わった後に、アメリカンフットボールのボールを持って投球練習をするなどからだを動かしてからカレーを口にするのもいいかもしれない。
なんでアメリカンフットボールかって? うん、目いっぱい投げるととても気持ちがいいんです。スパイラルがかかったボールを投げると、それだけですっきり気持ちが晴れます。

補聴器の値段 今昔2008/06/20 23:31:27

へえ~っと、目が開かれた思いがした。補聴器の価格である。

「新 値段の明治大正昭和風俗史」という本をひらいたときのことである。
ダービーの賞金だとかそろばんだとか、値段の変遷を取り上げた本であるがそのなかに補聴器の項目があった。

ざっとあげてみよう。
わたしが初めて使った補聴器は箱型。以来メガネ型、いまは耳かけ型を使っている。

箱型  1935年=120円~240円(輸入品) 320円(骨導式・輸入品) 1948年=6万円(輸入品) 5000円(国産品) 以下、1965年=13500円(国産) 1975年=23000円 1983年=58000円とある(以下はすべて国産品)。

眼鏡型  1960年=2万円 1971年=38800円 1983年=130000円

耳かけ型  1960年=18000円 1971年=36500円 1983年=64000円 82000円(自動騒音抑制装置付き) 1987年=92000円

耳穴型(記事では挿耳型) 1977年=58000~65000円 1988年=148000円

戦前の120円を現在のそれと一緒に考えてはいけない。当然貨幣価値が異なるから、いまだといくらくらいだろう。
戦後でも、わたしが生まれる前のメガネ型で2万円はやはり高い買い物だったに違いない。時代が下るにつれて価格が上がるのは、電子部品などはもちろん使われるようになり、補聴器の機能が向上したためである。それでも、10万円前後は、ちょっと考えれば高価なものだ。昔アマチュア無線をやっていたころ、どうしてもほしかった無線機の価格はなんと20万円もした。海外のアマチュア局と交信できる短波無線機でも、28年くらい前に10万円を切るか切らないかの価格が当時、アマチュア無線のトップニュースだったほどだ。
    
写真は、真ん中を除いて4台はいずれもデジタル補聴器。まともに買えば左右両耳装用で30万円くらいはするだろう。

驚きとともに、これだけ高価なものだからこそ、わたしたちにとっては切っても切れない、大切な存在だということ。そして手に入れたくても手に入れられなかった難聴者の苦しみにも思いをはせるのだ。