いいものは国や国籍を問わず2008/06/29 20:59:22

昨日買ってきたCDをいま聴きながらこれを書いている。
いま話題の黒人演歌歌手、ジェロ(Jero)さんの「カバーズ」というアルバムだ。

まず、聴いていると、日本人とそん色ない発音発声、流ちょうな日本語だ。インタビューも日本語で対応できるそうだし、言わなければ聴く人はほとんどまず、日本人と思ってしまうかもしれない。

今の若い人はまず歌わない、古い演歌や歌謡曲を歌いこなしている。先日読んだ新聞インタビューでは「演歌こそわが人生」と言っている。なかなかどうして、ここまで自分の取り組んでいるものに対して、誇りをもって口にできる若い人はそうそういない。

もうひとつ。
ヘイリー・ウエステンラ(Hayley WESTENRA)さんが日本の歌をカバーした、「Hayley shings JAPANESE POPS」も聴いてみる。
このなかに中島みゆきさんの「時代」、森山良子さんの「涙そうそう」はじめ、すばらしい曲を歌っている。古い歌では「白い色は恋人の色」も収録されている。

いまからもう30年以上前、「ダンシング・シスター」という曲で日本でも知られたノーランズという女性グループが山口百恵さんの「いい日旅立ち」を歌った。これもすばらしい出来で、4人のハーモニーがうまくかみあった出来である。

こうしてみると、どうしてどうして日本のポップスや歌謡曲といったものも外国の人が歌えば、アレンジの違いなどで、オリジナルとはまた違った新鮮な感じと懐かしさを感じさせる。

たしかにビルボードだとかレコード売り上げだとかランキングといったところでは日本の歌はまだまだなのかもしれない。日本語はたしかに難しい言語だし、英語が多い外国の歌に比べればまともに勝負にならないのかもしれない。
けれどこうして外国のシンガーが日本語ではなくとも日本の歌に取り組んでいると、いいものは国や国籍を問わない、という思いを感じる。
黒人であるジェロが演歌を、アイルランドのヘイリーがケルト音楽のアレンジで歌ってもいいのではないか。むしろ異なった文化が融合というかすばらしい化学反応を起こしたような、新鮮な気持ちになる。

いつかジェロやヘイリーの生の歌声を聴いてみたいものだ。
手話でやれたらいいね。