肩から力を抜いていくことも2008/06/27 23:09:38

いまNHKで、11年半のブランクをこえて今年4月にプロに復帰したテニスプレーヤーのクルム伊達公子さんを特集した番組を見た。

一流と言われる領域に達するには、常人にははかり知ることのできない厳しいトレーニングはもちろん、自分を律し、高いモチベーションとレベルを保ち続けていかなければ、いつ下から追い抜かされ、たたき落とされるかわからない。メジャーリーグMLBであれプロフットNFLであれ、テニスのような個人競技であれ、厳しさという点では異なることはない。

12年前までの伊達さんは、世界ランキング4位まで上りつめたのと一方で、周囲に対しても自分に対しても、神経過敏なまでに、極限まで張りつめた神経でいたそうだ。試合でうまく打てないと声をあげたり審判に当たったり。当時、報道陣に対してもやはり厳しい対応をしていたときいたことがある。
ところが今回の復帰では、他を寄せ付けない、日本刀のような厳しさではなく、自分をどこまで高め、限界を作らずに挑戦していくか、ということに加えて、プレーそのものを楽しんでいこうという雰囲気があるという。
それは世界ランキングから遠く離れ、4大大会のようなトップレベルの試合に出ることが目標ではない、自分の経験を若い選手に伝えていく、自分を踏み台にして乗り越えてほしい、という意味でもあるらしい。

伊達さんは一度だけ勝ったことのある世界ランキング1位だった、シュテフィ・グラフとの試合で、しんどいけれどどこまで食いついていけるか、いつまでも終わらないでほしいと思った、長いラリーを繰り返したなかで感じた、満たされた気持ちが忘れられないそうだ。
そういう、つらさ苦しみの向こうにみえる、充実したなにか。それは生きていく上での支えになるのだろう。

わたしはプロではないし、競技以前趣味以上のレベルだけれど、うまくいかないと、まだまだ! と追い詰めてしまう。それもいいけれど、そればかりでは最後に疲弊して燃え尽きてしまう。
仕事も卓球も手話もそう。
苦しく満たされないときもあろうが、その向こうにあるなにか。それを見つけ楽しむこと。
まだまだ! と自分を追い込むだけでは、悪循環、絶望のスパイラルに陥るかもしれない。
自分を追い込むのではなく、いい意味でリラックス、肩から力を抜いていくことも大事にしたい。

長い人生、つまずいたっていいじゃない。最後に何があるか分からないからおもしろい。