思い出のボール2008/05/21 22:30:23

メッツ時代にもらったオートグラフ入り公式球
仕事の合間に入ってきたニュースに、しばし驚き、こころ奪われてしまった。

マイク・ピアッザ。マスコミによっては「ピアザ」「ピアッツア」と書くことも多い、メジャーリーガーだ。
彼が今年のシーズンに入ってもどこのチームに所属せずにいることは知っていたが、今日、現役引退を発表したというニュースが入ってきた。

フルネームはMichel Joseph PIAZZA。1968年9月4日、ペンシルバニア州ノリスタウン出身。

だがこの選手は、はじめから活躍を約束された選手ではなかった。
マイアミ・デート短大を卒業後の1988年のアマチュアドラフトで,ロサンゼルス・ドジャースから全体62巡目(全体1390番目)の指名を受けた。
これだけの数の選手を指名するというだけでもスケールが大きいことだが、話はこれで終わらない。
実はピアザは、当時ドジャースの監督だったトミー・ラソーダ氏と知人の間柄だったピアザの実父によって「キャッチャーとしてなら」という前提で指名を受けることができたという。名前から分かるように、ラソーダ、ピアザ、ともにイタリア系である(ドジャースの現監督、ジョー・トーリも同じイタリア系)。それだけではなく、ピアザの家庭は裕福な家庭だった。そういう背景があったために、マイナーリーグ時代はいじめに近い経験もあったらしい。
だが、1992年9月1日、対シカゴ・カブス戦でメジャーデビュー。3安打を記録したのが活躍の始まり。翌年、新人王に選ばれる。
日本からやってきた野茂英雄がドジャースに入団した1995年、彼とのバッテリーで日本のファンにも知られるようになり、テレビコマーシャルにも出演した。
ドジャースでは1997年までプレー。フロリダ・マーリンズ、ニューヨーク・メッツへ移籍。2005年までニューヨークでプレーした。99年は40ホームランを打つ。2000年、同じニューヨークを本拠とする、ヤンキースとのワールドシリーズに出場した。06年、サンディエゴ・パドレスへ移籍。07年、アメリカンリーグのオークランド・アスレチックスへ移籍。初めてのリーグを越えた移籍だったが83試合、8ホームラン。そして今年、どこのチームにも所属せずにシーズンを迎えて、今日引退のニュースを聞いた。
キャッチャーというポジションは過酷だ。本塁へ突入する選手と衝突するときは大けがの可能性もある。さらにピッチャーとのコミュニケーション、ほかの8人の野手にも指示を出さなければならない。だからキャッチャーはどちらかというとバッティングより守りがうまいほうが重視される傾向がある。だが実働16年でホームランは427本を打っている。名実ともにすばらしい、強打のキャッチャーだった。

個人的に知っているわけではないし会話を交わしたことももちろんないのだけれど、彼の魅力というかひかれる理由を挙げるなら、野球エリートではない。1390人の中からマイナーをへてはいあがってきた、たたきあげであることだけではなく、けがと闘いながら、キャッチャーという過酷なポジションに誇りを持ち続けてきたことだ。1999年ごろからDHやファーストとしての起用が多くなったけれど、本人はあくまでもキャッチャーとしての試合出場にこだわっていたときく。おごらず高ぶらず、知らない国からやってきたチームメートともコミュニケーションをはかったことにもひかれた。

写真は、ニューヨーク・メッツ時代に試合前、持参したボールにオートグラフ、サインをもらったときのもの。ターク・ウェンデルという選手と一緒にサインがある。
ほかにもメジャーリーグのオートグラフボールをいくつか持っているけれど、こうして現役をやめた選手ほど、いとおしい。
同じ時代をともに生きた、すばらしい選手に思いを込めて。

記録は以下のサイトから参考にした。
http://www.baseball-reference.com/p/piazzmi01.shtml