天災は時と場所を選ばない2008/05/15 23:57:50

中国・四川省で12日に起きた地震は、発生から72時間が過ぎた。72時間というのは生き埋めになっているとみられる人の生存限界が3日間、72時間であるということからきている。

今日、難聴者仲間(女性)とお茶をのんでいて中国の地震の話が出た。もちろん手話でのやりとりだ。
彼女いわく、「日本は幸せだね」。
ついカチンときて、「日本が幸せだなんて、そんなことを中国の人に言ったら怒られるぞ」と強く言った。

先週の東京でも深夜のわずか1時間のあいだに2度も大きな揺れに見舞われた。深夜だったからであって、これが日中だったり、社会生活活動の盛んな時間帯だったり連休など移動の激しいときだったらどうなっていただろう。
おりしも国の直下型地震の最悪被害想定が報道された。首都で起きた場合、死者は1万3千人。近畿圏では4万2千、名古屋圏は1万1千だという。あくまでも統計やさまざまなデータから予想される数字であって、もし実際に起きたらどれくらいになるのか予想も想像もつかない。
阪神大震災の時、新聞社は連日行方不明者の氏名を掲載した。インターネットがあっても通信手段が寸断されたり機能しなくなったら何の意味もない。ローテクな、張り紙か新聞によるしか、安否を知る方法がないだろう。

中国の場合は共産党一党体制だからなおのこと、一党体制ゆえに都合よい情報だけを国内に伝えようとする。しかし今回の大地震では、救助体制など、指導部への不満が充満しているらしい。インターネットで書き込みをしても共産党が片っぱしから削除したり書き込みもできないようにしたりしている。

話を日本に戻す。
さきの彼女は「日本は幸せだ」と言ったけれど、どこが幸せだなんて言えるだろう。生活格差だけではない、いろいろな問題が起きている。
国が発表した直下型地震の被害想定数字だけでも、恐ろしいものである。1人の死なら悲しむけれど、1万人数万人の死は悲しくないのだろうか。もし自分が死んだら。その何万人のなかに含まれたら。そういう想像力はないのかと言いたい。

彼女の発言をおごりとは受け取りたくないけれど、日本もいつどんな災害がやってくるかわからないのだから、幸せだなどとはとても言えないと思うのだ。

天災は、人間のちっぽけな意図など相手にはしない。
中国はようやく重い腰を上げて日本からの救援隊を受け入れることを発表した。ミャンマーはあいかわらずかたくななままだ。
これでは国際社会からの信頼は得られないだろう。