あなたが人生に絶望しても2008/05/02 23:25:51

先日の手話サークルの日帰り旅行はとても楽しい思い出がたくさんできた、こころに残るものだった。
その一方で、わたしのこころに重苦しい石がのしかかっている思いもあった。

いうまでもなく、ここ最近起きている、硫化水素による自殺のニュースである。先日はとうとう、これを使った殺人未遂事件まで起きた。毒性が強力なために、それと知らずに部屋に入った家族や救急隊まで硫化水素を吸いこんで死んだり気分が悪くなるなどの巻き添えがあるだけではなく、マンションなど集合住宅では、多数の人たちが避難するなどの騒ぎにまでなっている。
事態を重くみた警察は、ネットで硫化水素を使った自殺などを書き込んだサイトを削除するよう、プロバイダ会社などに呼びかけた。化学薬品を扱う業界も、硫化水素を含む洗剤や薬品などの販売に注意をはらうようになった。

自殺はわたしも考えたことがあるし、実行しようと思ったこともある。
けれど他人を巻き添えにしたいとまで思ったことはない。ましてや、自殺をしてリセットしたつもりでいるかもしれないが、リセットではなくどれだけ多くの人が苦しみ悲しむか。たしかにいまはつらいかもしれないが、やがては明けない夜はない。どんなに苦しいことがあっても、いつかは希望がみえてくる。

ヴィクトル・フランクル(1905~97)の著作は、彼が亡くなった10年後のいまもなお、静かに読まれていると聞く。
「あなたが人生に絶望しても、人生はあなたへの希望を捨てない。どんな人にも、固有の生きる意味がある」

聞こえなくても、人には生きる意味がある。
自殺をした人たちは自分に絶望したのだろう。やりきれない苦しみや悲しみをリセットしたいと思ったのだろう。けれど、死を選ぶ前に、その生死を分かつほどの苦しみのさきに、自分を待つ何かがある。それは死ではない。死ぬことではない。

死とか死ぬとか、簡単に口にしてしまう。けれど、本当はとても大変なことなのだ。その人がそれまでに生きてきた人生の最大かつ最高の、すべて、生きてきた生きざま、考え方、もろもろが如実に表れるのだと思う。だからとても軽々しく死とか死ぬとか、口にしたり願望を抱いたりすべきではない。死を考えたら、もしまだ、自分を待っているものがないのかと問うてみてほしい。あなたは絶望しているかもしれないが、あなたに希望を抱いている人もまた、必ずどこかにいるはずだ。

連休を前に、これからのわたしの歩むべき道、どうしたいのかどうありたいのかを考えてみた。
自分のためではなく、誰かのために生きたい。それが回りまわって自分のためになる。手話も朗読もそう。相手を理解したい、相手のためになりたいと思う。