説教が聴きたい2008/04/20 23:03:54

昔まだ聞こえていたころ、ラジオ付きヘッドホンで礼拝説教を聴きながらメモを取っていたことを思い出す。いまの教会では、隣に座った方に書いていただいた説教を読みながら聞いている。説教全文をそのままメモにするのはたいへんな作業労力がいるのだということをまず理解したい。そのままメモにするということを言い換えるなら「即時性」というべきだろう。

要約筆記者に聞いてみれば分かると思うけれど、話し言葉をそのままメモにするのは、話し手の話すスピードにもよるが、熟練者でも全文を採録することは至難の業だ。
話し言葉は、普通には1分間に300字~350字くらいだといわれる。それに対して書く速さは、1分間に60字~70字だという。とすると、とても全部は、書ききれないことになる。ましてわたしの教会では、要約筆記についての経験も知識もないなかで奉仕してくださるのだから、本当に頭が下がるし感謝しなければと思う。だが、失礼ながら字が読めなかったり、話している内容から遅れたりしては意味がない。書く上ではなにも毛筆のような楷書だとか達筆でなくてもいい。技術的には要約するために略語・かな書き・記号を使う、などの工夫が必要だ。
たとえば、マルコによる福音書なら、マルコ(「福音書」はいらない。なぜなら福音書でマルコといえばマルコ福音書だけだから)、創世記なら創だけでも十分だ。詳しく知りたいならあとで聖書を開けばいい。「~であるでしょう」という言葉もそのままでなくても「~である」で止めてもいい。

しかし、問題がある。
わたしの住んでいる区でも手話通訳者や要約筆記者の派遣制度があるが、宗教に絡んだ場合は基本的に派遣が認められない。公費だから当然でもあるけれど。冠婚葬祭でもなかなか派遣は難しい。
教会によっては手話通訳者がいるところもあるけれど、これはまったくのボランティア。よって派遣費も通訳料も出ない。あくまでも善意でしてくださっていることだ。

派遣制度の趣旨から考えると宗教関係への派遣が難しいことはよくわかる。しかし、教会内、教団内で手話通訳者や要約筆記者を養成できないものだろうか。あるいはとりくんでいるところはないのだろうか。

正直言って、情報保障のある教会がほしい。