悲しみと喜びと2008/04/15 23:37:34

出勤して、パソコンを起動させているあいだに、お茶と缶コーヒーを購入するため社内の売店に行く途中、何げなく掲示板に目を通してみたら、ある訃報が掲示されてあった。

その人とは、いまの職場に移る前のときから何度もお会いしたことがあり、あいさつだけではなく、立ち話ながら込み入った話もしたことがあった。温厚な表情で、いつもあいさつをすると笑顔で返してくださったのが忘れられない。

定年退職されてからご病気だとうかがい、昨年末には一時退院されたと聞いていたのだが、亡くなられたという。驚きしばし絶句した。

夜に以前住んでいた区の難聴者仲間がひらいている手話教室に出席、休憩合間のバカ話も交えながら手話で楽しくおしゃべりを楽しんできた。バカ話をするわたしを遠目で見ていた、要約筆記のみなさんがお腹を抱えて笑っていた。うん、笑われるのはいやだけれど笑ってもらえるのなら、冥利に尽きる。

そのあと、仲間と駅近くのレストランに入って食事をした。
いろいろな話題がでて、さらにお互いを知り合えることになったのではないかと思う。

死。
悲しいことだけれど、いつかはわたしもそっちの世界に行くことになる。わたしだけではなく、いま生きている誰もがいつかは、この世に別れを告げなければならない。

昨日のここで、「後期高齢者」「障碍」といった用語やそれに対する社会の鈍感さというか姿勢について疑問を書いた。
わたしたちは、ついつい自分がいつまでも健康でいて、元気でいられると信じて疑わない。けれど生があるということは、いつかはその終わりがくるということだ。つまりわたしたち誰もが等しく、有限な存在であるということなのだ。時間においても能力においても。ただ、限られているということを自覚し意識しながら、その限られた生を豊かに生き、遺していくことはできる。

聞こえない、話せる、わたしもまた、限られた生を生きたい。
いつの日か主イエスのみもとに帰る、その瞬間まで。