生まれ変わったような思いがする2008/03/26 23:57:25

今日はうれしい報告を書きたい。なにせ毎日暗い、気持ちを重くさせるニュースが続いている。けさもテレビをつけて飛び込んできたニュースに暗たんたる思いだった。

手術後の2度目の検査は順調で、プリズムを使っての斜視度合いはどうか? 左右の異なった絵が一致したり重なったりしてみることができるか? といった視覚機能訓練士の検査で、生まれて初めて、ひとつのものを両眼で一緒に見ることができた。左に見える小さなライオンの絵と、右で見た×の絵が一緒に見え、×の絵の上にライオンの絵が見えたときはあたりはばからず、思わず「おおっ!」と声を上げてしまった。
卓球以外に、卓球を始める前のウオームアップトレーニングとしても実際の試合を想定した練習としてもやっている、アメリカンフットボールの投球練習。右利きのわたしなら、きれいなスパイラル(回転)をかけて投げるためには、右手の手のひらが右耳の横を通り、ボールが手を離れるときには右手親指が下を向いていなければならない。これは全身を使った運動にもなる、効果的なトレーニングだが、的をイメージして投げるフォームをすると、左右一緒に同じものが見える。仮にバラバラに見たとしても、左目から右目へ、苦痛なくみえる。手術前は左でみてから右で追いかけてみるのも、右目がぼやけてみえるなど、たいへん苦労をしいられたが、いまは自然に両目でみることができる。
コンタクトは来週からつけてよい。眼帯は今日からはずしてよいと担当医から言われた。今はまだコンタクトがつけられないのと、いきなりハードな練習をするよりは、目を慣らした方がいいと、卓球練習は来週から再開する予定だ。
シャワーも洗顔も手術前のようにしてよいとも言われた。

まだ目が赤くごろごろしているけれどこれも、1カ月もすればなくなるだろう。

斜視ゆえ、「カメレオン」とあだ名をつけられたり、どっちを向いているんだとからかわれたりした。40年本当にいやな思いをしてきたけどこれがなくなるならうれしい!

斜視がなくなることで、生まれ変わったような思いがする。このさき、なにかいいことがあるのではないか、と希望を抱いて生きられそうだ。
幸せになりたい。これからの人生をいままで以上に濃密で豊かなものに、よいものにしたいと思う。

常に喜べ、絶えず祈れ、凡てのこと感謝せよ。

    (文語体新約聖書 テサロニケ人への前の書  5章16~18)